2014年8月4日月曜日

岡田斗司夫はマルクスにならなければならない。

こんにちは、こんばんは、KoR89こと畠山薫です。
毎日暑い中、なんとなくスーツみたいなモノを着る機会があります。残念です。

岡田斗司夫はマルクスにならなければならない。


僕は、どんなに頑張っても2流の評論家にしかなれないと思う。そう確信させたのが、岡田斗司夫さんであった。

ニコ生の公式放送に岡田さんが戻ってきた。
面白かったけど、なんか違和感を持ったのはたしかであった。

元気がない。明るさがない。

もっと変な言い方をすれば、

オタクの悪いところが出ていた。



やはりオタク気質を持つ人には、思考や決断、決断を支える価値観にクセがある。僕はこれを「考え方が、クサい」と読んでいるんだけれども、それは決して普通の人(非オタク)の人からは必ずしも好まれるものではない。

8月のニコ生の岡田さんは「考え方が、クサかった」。

なぜ「考え方がクサい」ことが、一般の人から嫌われるのか。
それは非常に簡単で、「世間や世界を斜めから見た批判」となることが多いからである。

僕自身も、オタクだから分かるのだ。
そういうオタク的な物言いと考え方は、「なぜ、そんなに人を批判するの?」という普通の人からの問いとなって返ってくるのだ。


それでも、元オタキングこと岡田さんは、王様としての余裕があった。
岡田さんの批判には、ユーモアがあった。笑えるのだ。たとえ、それを本人の前で言っても、本人でさえ笑ってしまう。そういうユーモアを交えて、相手を批判するのである。

そういうユーモアを僕は持つことが出来ないから、
僕はきっと2流の論者になるしかない。

そして、8月ニコ生以外の岡田さんにはユーモアがあった。
ユーモアがあると、その人の語る世界は急に明るく見える。


マルクスにもユーモアがあった。
マルクスは、経済や社会を進化論的にとらえて、当時の資本主義体制を批判したのだが、それでも次の世界は明るいことを説いたのだ。

マックス・ウェーバーは、本当に悲観的な未来しか描くことが出来なかった。
そんな未来を指針にして、人間が生きることができるとは思えない。

確かに、マルクスの描いた未来は現実的にはうまくいかなくて、むしろウェーバーの描いた未来に近いと思うだが、それでも社会へのインパクトではマルクスが強かった。

彼らの影響の強さを分けたのは、明るさであった。


僕は、岡田さんの言う「評価経済社会」も「レコーディングダイエット」も「性格の4分類」も話し半分で聞いているけれども、彼が「世界の苦痛の0.3%を取り除く」という明るい未来を夢見てるからこそ、彼の話は魅力的なのだ。

そういう、明るさがなかったのが残念だった。