2014年12月27日土曜日

意識高いなら、マックスむらいぐらいになれよ。

こんにちは、こんばんは、KoR89こと畠山薫です。
クリスマスを過ぎ、年末を迎えましたが、段々と社会的な行事の意義が、個人の価値に収束しつつあると感じます。


意識が高いなら、マックスむらいぐらいになれよ。


僕が就活の時に流行った言葉、「意識高い」。
Googleで検索したら、"意識の高い大学生bot"などというやつを見つけました。


「意識高い」とは、Navarまとめによると

『意識高い系』というのは数年前からネットスラングになっている言葉で、セルフブランディング、人脈作り、ソー活、自分磨きに前のめりになっている若者たちのことをいいます。彼らはやたらと自分を大きく見せたがり、SNS上で活動をアピールするという特徴があります。
まぁ、この辺の定義で概ね良さそうな気がするのですが、ただ実際には自分磨きによって、自分が磨かれて凄いことになる可能性はあるわけで、「意識高い」人を完全にはバカに出来ない気もします。

「意識高い」人とは、他者からの承認やつながりを得るために、外界への過剰なアピールと自己の能力の向上を志向する人であると、僕は考えています。彼らの自分磨きについては、あまり知らないのですが、特に他者とのつながりについて大きな価値を持っていると思うのです。

彼らの口癖は「縁」とか「感謝」です。
これらは全て他者とのつながりについて過剰なまでに肯定する姿勢であると私は考えています。

でも、大半の「意識高い」人は、「縁」を感じる程度も、それに対する「感謝」も中途半端だと思うのです。ここに対する過剰なまでの肯定感がなければ、その後の過剰なアピールも過剰な自分磨きもありえないわけです。


最近、有名な社長YouTuberであるマックスむらいさんは、その辺は徹底しています。この動画は、スマフォゲームの無課金プレーを約束していたマックスむらいが、課金していたことについて謝罪する動画なのですが、、、ここでマックスむらいは出会いについて完全に肯定しています。

だって、課金して出てきたキャラクターに対しても、「ゲンスルーさん」と「さん」付けするのです。

これが出会いや人とのつながりが、キャラクターにまで拡がったマックスむらいの姿であり、これこそ「意識高い」人の原動力である、他者との関係の全肯定であると思うのです。

是非、「意識高い」人はマックスむらいを参考にして欲しいのです。