2021年3月1日月曜日

落合陽一から何かを学ぶための補助線

 ※このブログから構成を変えて行こうと想います


落合陽一さん(以下、落合さんと呼び捨てを併用)のなさっていることは一見すると多種多様であり、まとまりが無いように感じる。僕もそうであった。ただこの人は、一見の価値があると思ったのは「WEEKLY OCHIAI 」のコロナ特集を見た時だ。彼はコロナの第2派への対策がうまく行かないのではないか危惧は、「人々の規範(意識)」が壊れてしまい共有化されていないことが原因ではないかと喝破した時だ。その指摘はまさしくその通りだと私も感じたし、なかなか"正しく"言葉にできないモヤモヤを落合さんが表現した時に、彼の社会への見方が卓越しているものであると感じた。

(14:30頃を見てください)

なぜ、落合陽一から学ぶ時に補助線が必要なのか

落合さんとしても理解されないことについて、それなりにモヤモヤしているとのではないかということは、ツイートを見ていても感じる。ちなみにそれについては落合さんがnoteに書いている。内容は有料なので全部は読めていない。ちなみに、このブログはすべて無料で確認できる落合さんの講演などをもとに書いている。

落合さんの一連の動画を見ていって、彼の考えから学べるものがないかを考えていると、むしろ彼の言っていることよりも、まずは落合さんという人間を自分の中で位置づける必要があるという結論がいたった。落合さんの活動は多様であるからこそ、自分が参考にならないなと思う部分と「ほほ〜、なるほど」と感じると部分が存在する。だからこそ、個々の活動に目を向けるのではなく、それらを整理するための落合さんへの理解こそ、落合さんから学ぶ補助線になると思ったのだ。(ちなみに、妻は落合さんから学ぼうとする僕の姿勢に対して、「落合シンパ」と言ってきて話を聞いてくれないので、このブログを書いている)

そして、多くの人にとってそれが補助線になるのではないかと思う。その根源には、「落合陽一は、得体が知れなくて、どう捉えていいか分からない」という不信感・不安感があるからだと思う。この記事は、落合さんから何かを学ぶ時の補助線として僕の、落合さんの捉え方を書いていく。


落合陽一を理解するための第1の補助線:彼は好奇心の人である

他人が同意してくれるか分からないけれども、類型的に私は人間の原動力を3つに分類できると思う。
  1. 主義・主張タイプ。彼らは自分の考え方を主張することや、実現することを第一に考えている。
  2. 利益タイプ。彼らは基本的には自分にとっての損得をベースに考えている。
  3. 好奇心タイプ。自分が好きなことや興味のあることに取り組むこと原動力である。

私の分類では、落合さんは好奇心タイプだ。好奇心タイプの特徴は、大きく分けて2つある。1つ目が、基本的に関与するかしないかの基準が「おもしろい」かどうかである。そのため他人から見た時に落合さんのメリットがなさそうだなと思っても、実は取り組んだ時点で落合さんのニーズが満たされているのではないかと思う。2つ目が、移り気だということだと思う。継続的に興味を持っているケースもあれば、「今、この瞬間に」興味があることに取り組んでいることがある。

落合さんの場合に、根幹にある継続的な興味は「メディア・アート」なのだと思う。私の理解だとメディア・アートとは、人間がメディア(媒体)を通じて感じる全ての感覚を芸術として捉えることだと思う。そういう意味で、人間と物とのインターフェイスに彼の興味は集中している。ちなみにメディア・アートの話をしていて、分かりやすいかなと思ったのはこの動画です。
↑これがメディア・アートを理解する上で、比較的分かりやすい

↑比較的最近の考えを聞くのであれば、こちら


落合陽一を理解するための第2の補助線:彼は天才的なハッカーである

これは第1の補助線とは違って、彼の資質や特性についての話ではなく彼の能力の高さについての話である。そして、一般に広く見られているものは、実はこの第2の補助線で整理できる活動だと思う。

落合さんはまず、天才で働き者だ。普通の人ができないだろうと思うような量の仕事をこなしている。そして、その方法も普通の人にとっては「へ〜、そうやってやるんだ」という業界のノウハウと、「えっ、そんな方法あるの!?」という驚きに満ちている。そういった方法を複数用いて、落合さんは実は社会をハッキングしているのである(もちろん、システム開発者としてもハッカーだと思う)。彼の得られている職は、単純に言えば彼の能力を評価された結果であるし、彼が社会をハックした結果であると思う。

なぜ、彼が社会をハッキングするのかというと、理由はやっぱり好奇心だと思う。まずは、ハックすることそのものが楽しいのだ。つまり、社会をどうハックすることが出来るのかそのことへの興味があるのだと思う。落合さんがテレビに出た理由として「筑波大学の受験者数が増えるから」と言っていたが、それは新しいライブラリ(プログラミングの話です)が出てきた時に、少し使ってみると発見があることに似ている。

そして、何より彼の中心的な好奇心(つまり、メディア・アート)を継続的にするための手法を模索しているのだと思う。彼が大学に職を得ていることや事業をすることは自分の根幹にある興味(メディア・アートの研究)を継続するためのハックをしているのだ。例えば、従来の国から研究費を獲得してそれを使い研究をするスタイルは既に破綻しており、彼としては研究者が自ら事業化することで自分の研究を進めていくべきであると言っている。これもある種の社会ハックなのである。

↑研究費の獲得について変更を話している
↑これは上の画像の元ネタです。周りの人がGoogleの社員ということで
観客のリテラシーをそこまで気にする必要がなくて割とリラックスしている。

普通の人が、落合陽一から学べないこと

まずは彼から普通の人が学べないことだ。ここで言う普通というのは、落合さんと同じ魂の色を持っていないことを指す。落合さんと同じ魂とは「メディア・アート」とか、落合さんの提唱する「デジタルネイチャー」という世界に対して興味を持つことができるかどうかだ。正直、私もここの人間ではないので傍目から見ていておもしろなと思うのは、「世界の再魔術化」と「ソフトウェアがハードウェア(物体)を支配する世界」という概念だ。

「世界の魔術化」というのは、マックス・ウェーバーの「世界の魔術からの開放」の対になる言葉だ。どういうことかと言うと、これまでの製品やサービスは視認できるものが多かったが、ICチップなどの外からは動きが分からない仕組みの中で完結してしまい、様々なサービスがあたかも魔法のように提供されるようになるという世界観である。

「ソフトウェアがハードウェア(物体)を支配する世界」という概念は、まさしく「世界の再魔術化」を実現する背景で、ソフトウェアによって物質をコントロールすることが出来るようになってきていることを指す。例えば、落合さんの実績であれば、音波によって物を浮かせる研究が該当する。あれは(多分)ソフトウェアの計算能力が増えて、ソフトウェアのコントロールするハードウェアの解像度が上がることで、出来るようになった「ソフトウェアがハードウェア(物体)を支配する世界」の一現象である。

普通の人が、落合陽一から学ぶこと

前置きが長くなってしまったが、落合さんから普通の人が学べることは、彼の天才的なハッカーとしての部分である。彼のやっていること量と質は、到底普通の人が真似できるようなものではないと思うのだけれども、実は一つ一つを見れば真似できるような気がする。例えば、テレビにコメンテーターとして出ることも規模を縮小して、なにかのYouTubeチャンネルに専門家として出るだけならもしかしたら出来るような気がしないだろうか。または、社会をハックする時の世界の見方である。彼の現在の社会に対する見方は、かなり現実的(この彼の興味の根幹と現実的なものの見方のギャップが、彼の凄さだと思われる)であるから、そこから学べることは大きいのだと思う。

このブログを書いている中で、彼が自分がADHDの気質であり、ADHDのマイナス面をどう回避しているのかというTIPSを紹介していた。個人的に、これは参考になるなと思うところを紹介したい。


あと彼の(社会)ハッカーとしての手法と、社会への見方については、普通にWEEKLY OCHIAIが参考になる。ぶっちゃけ毎回おもしろいわけじゃないが、これがあるからひとまずNews Picksは続けている。以下は、面白いと思った回を紹介。

↑社会ハッカーとしてのデジタルの社会適応の話をおもろい

↑これは出演者の人が積極的に自分の意見を言っていておもし

このブログで落合さんから具体的に学んだことではなく、落合さんから何かを学ぶための補助線をひいいてきた。簡単にまとめると以下のとおりだ。
  • 普通の人 → 落合さんの社会ハッカーとしての手法と世界の見方
  • 落合さんと同じ魂の色を持つ人
     → 上項にプラスして、メディア・アートを社会の中で位置づける考え方全般

2020年7月16日木曜日

なぜ水曜どうでしょうの新作「北海道で家、建てます」が面白いのか

こんにちは、こんばんは、KoR89です。先日実家家族が我が家に遊びに来た時、妹から水曜どうでしょうの新作が面白かったという話になったのですが、他の家族もいる手前であんまり話すことが出来なかったので、ここで発散したいと思います。なので、ネタバレ含みます。


なぜ水曜どうでしょうの新作
「北海道で家、建てます」が面白いのか


3ヶ月間の騙しが「アハ体験」を呼び起こす

一時期耳にしていた「アハ体験」とは、未知の物事に関する知覚関係を瞬間的に認識することです。今回の「北海道で家、建てます」の最終回は、まさしく3ヶ月間の視聴体験が直感的に、そして瞬間的につながり、このシリーズが持つ仕掛けを理解することができるアハ体験を提供してくれます。そして、それが爆発的な面白さを喚起します。

大泉洋はつまらないシリーズだと思っていた

シリーズ開始当初「北海道で家、建てます」は、つまらないシリーズなのではないかと思っていました。それは、前枠(本編が始まる前の大泉さん・鈴井さんの30秒程のストーリー紹介)で大泉さんが「今回のシリーズは期待しないで欲しい」といった主旨の発言をしていたからです。新シリーズを待っていた方からすると、随分前から予防線を張るなとすこしがっかりするところがありました。この第1・2話の前枠は2019年10月の水曜どうでしょう祭りで取られたものでありました。そして、それを受けての1話は企画発表が終わらず、「水曜どうでしょうは迷走している」の藤村さん(ディレクター)の発言もあり、期待感が少し下降気味で終わりました。ただ第2話では、新しく家を建てるというこれまでの旅とは少し違った企画に、個人的にはワクワクしました。

前枠に大泉洋が出ない / 主演が大泉洋ではない

これまでのシリーズにはなかったことだと思うのですが、このシリーズの前枠・後枠に大泉洋が連続して出てきません。これまでどんなに大泉さんは忙しくても、前枠・後枠は鈴井さんと揃って出てくることで、ファンとしては大泉さんも鈴井さんも(特に大泉さんが)水曜どうでしょうを大切にしているんだなと嬉しく思っています。
また、誰が主役かということについてどうでしょう班の中で話題になります。その結果、エンドロールでは主演の位置から、大泉さんが離れて鈴井さんになります。もちろん、鈴井さんも大切なのですが、ファンとしたら「大泉洋こそ主役だろう」という気持ちもあります。そして、まるっと大泉さんが出てこない回があり、水曜どうでしょうの大泉さん離れが起きていきます。

藤村さんがYouTubeを使ってファンと一緒に最終回を見る

大泉さんが面白くないと思っているのにも関わらず、藤村さんはなぜか自信満々です。それは、新作が出る少し前から始まったYouTubeチャンネルからも伺えます。YouTubeチャンネルでは、藤村さん達が新作を見ながら副音声をつける企画を行ったり、最終回では藩士(水曜どうでしょうファンの愛称)を呼んで彼らと一緒に最終回を見ることで、反応を楽しむという企画が行われたりしました。

つまりまとめると、大泉洋さんはこのシリーズを面白くないと思っており、大泉洋さんが出演していない回が多いのにも関わらず、なぜか藤村さんは自信を持っているというそういうシリーズなのです。これまで自信作は、大泉洋さんも面白いと公言してきたのにも関わらず、そうでないシリーズなのです。

「北海道で家、建てます」のネタバレ

簡単に「北海道で家、建てます」のストーリーを紹介したいと思います。2017年1月に鈴井さんの家がある赤平に呼ばれた大泉さんは、藤村さん達から一応Bプランはあるから、大泉さんに企画を考えて欲しいと打診されます。延々と考えて大泉さんはBプランで行くことを藤村さん達に伝えると、藤村さん達はBプランとして赤平に土地を用意していて、そこに家を建てる企画を伝えらます。その後、不定期にロケを行い家を少しずつ作っていきます。徐々に大泉さんがいないロケも行われるようになります。ロケ開始から1年後の2018年冬、大泉さんが不在のロケで高床が建築された家を見に行くと、雪で家が倒壊してしまいました。その後、家が倒壊してしまったことを大泉さんに隠したまま業者に家を建築させ、2年後の2020年2月、最終回の撮影時にネタバレを行います。そして、視聴者も最終回で前枠・後枠で出てきた家が、業者が作成したものであるということを知るというストーリーです。

1つ目のアハ体験:大泉さんがなぜつまらないシリーズだと思ったのか

大泉洋さんがこのシリーズを面白くないと言った第1話・第2話の前枠・後枠を撮ったのは、2019年10月のことでした。つまり、大泉洋はこのシリーズのエンディングである大泉さんが途中まで作った家は倒壊し、業者が完成形を作るというオチを知らず、自分が途中までしか参加していない中途半端な企画であると勘違いしているというわけです。そのため、大泉洋さんは自信がないということです。

2つ目のアハ体験:なぜ、大泉洋が不在の前枠・後枠が多いのか

このシリーズの隠れたテーマは、「不在のやつが、主役だ」ということです。主演から外れた人間、ここにはいない人間を実はみんなが考えて行動しているということです。それを前枠・後枠が表現しており、シリーズ期間中の前枠・後枠で出てくる家(小屋)に大泉洋を呼んでしまうとネタバレになってしまうので呼べないという切実な状況にあるわけです。つまり、仲間外れにしているのではなく、大泉さんのことを考えると呼べないということを表現しているということです。

3つ目のアハ体験:なぜ、藤村さんは自信があったのか

この企画のポイントは、実は視聴者も大泉さんと一緒に藤村さん達に騙される3ヶ月を過ごしているということです。これまで事前にオチやネタを視聴者は教えられて、それに騙されていく大泉さんの姿を見ていました。ただ、大泉さんが騙されていた期間に比べると短いですが、視聴者も3ヶ月間大泉さん達が家を建てたと騙されていました。それは企画発表が終わりいよいよ家を作り始めた第3話の前枠で、作ったであろう家の中で前枠を撮ってているからです。2年間という期間で大泉さんを騙した後に、3ヶ月間騙されていた視聴者を直接見るため、藤村さんは藩士を集めて最終回を見ていたわけです。これはつまり、今まで藤村さん達に騙される大泉さんを楽しむという構造から、藤村さんに自分達が騙されることを楽しむという構造に大きな転換を発生させることになります。

藤村忠寿は騙しのプロ

僕たちは大泉洋さんのことを騙されて、馬鹿だ馬鹿だと思ってきました。ただ、このシリーズを通じて、藤村忠寿は騙しのプロなんだということ知りました。ちなみに、私は騙されました。あの家は、大泉さん達が作ったものだと思ってワクワクして見ていて、その気持ち裏切られることになりましたが、端々にあった違和感の理由がすべて分かっていくようで、なぜか最終回が終わってスッキリした気持ちになりました。騙しのプロは怒りではなく、なぜかスッキリした気持ちにさせてくれるのでした。

2020年2月13日木曜日

『野村ノート』を読む 第1章

こんにちは、こんばんわ、KoR89こと畠山薫です。
野村克也さんがお亡くなりになり、僕としても野村さんから学んだことも多いと感じ、この度代表作の『野村ノート』を僕がどう読んだのか、どう生活や仕事に役立てているのか、記録したい。



『野村ノート』を読む 第1章


野村さんの考え方の優れたところ、2つ

野村さんの考え方の優れたところは、大きく2つあると思っている。まず、意味のある目標を印象的な言葉で伝えるところ、次に事象を取り扱える程度に分解することだ。例えば、どう選手を長期的に成長させるのか説くところでは次のように言っている。
 そこで大事になるのは、人間はみな人生を生き抜くという使命をもって存在しているということを選手に説き、その使命感を選手ひとりひとりに認識させることである。だからこそいやが応にも、人生を教えなくてはならないのだ
野村さんの掲げる目標は大きい。立派な野球選手になることは、人生を生き抜くことだと説く。ただ、もちろんこのように大きな目標を言われるだけでは、どうすれば良いのか選手としても途方にくれてしまう。そこで、野村さんは補助線を加える。
人生という2文字から私は次の4つの言葉を連想する。
 「人として生まれる」(運命)
「人として生きる」(責任と使命)
「人を生かす」(仕事、チーム力)
「人を生む」(繁栄、育成、継続)
(中略)
 さらにチームをつくりあげるうえでは2つ目の「人として生きる」を選手に徹底して教え込まなくてはいけない。
ここまで整理してもらえると、選手であっても自分がしないといけないことが薄っすらと見えてくる。簡単に言えば、自分が与えたられた役割を精一杯果たすことに集中すべきだということだ。

なぜ優れているのか

僕は少しへそ曲がりだから、厳密に考えた時に野村さんの言っているように、人生という言葉から連想される4つの言葉で、人生のすべてをMECEに表すことが出来ているかと問うと、そうではないのではないかと正直思う。実際に、これから紹介する野村さんの考え方の中には、MECEに感じられない部分も多い。

ただ、厳密なMECEをするような考え方が、現実の課題の解決に役立つのかという、残念ながらそうではない。物事を厳密に考えようとすればするほど、物事の網の目の中に取り込まれて出てこれない。とはいえ、何も整理をしないで物事を漠然と見るだけでは、問題を解決することが出来ない。

つまり、直感的に利用することができる枠組み(フレームワーク)が人生には必要になる。自分の人生の段階から、人生の4つの言葉のうち何を果たすべきなのか、きっと多くの人が選択することができるはずだ。例えば、チームのリーダーになった人は、「人を生かす」ことがきっと重要に思うだろう。

野村ノートの中には、そういった野村さんの人生に役立つフレームワークに溢れている。

野村ノート (小学館文庫)   野村 克也 

2015年9月25日金曜日

バスケットボール分解式 その①

こんにちは、こんばんわ、KoR89こと畠山薫です。

野球の話を聞くのが好きです。理論的に進歩しているスポーツ(野球、ボクシング、バレーなど)ほど、国際的に強いという印象があります。(偏見)

バスケットボール分解式 その①


僕は高校卒業後も、バスケットボールについてそれとなく考え続けてきました。かれこれ8年くらい。ここ最近になり、それが理論的にまとまってきたと感じるので、ちょっと小出しにまとめてみたいと思います。


理論的にコアな部分をまとめると上の式になります。理論としてめちゃくちゃおもしろいかどうかは、正直よく分からないです。ただ5本ぐらい論文を読んで、僕と似た考えをした人がいなかったので、まとめました。

理論的なバックボーン

簡単に言うと、財務会計のデュポン分解式のエッセンスと、「創って、作って、売る」の三枝匡先生の業務プロセスのエッセンスの合わせ技という感じです。(多分、わからないですねw)

財務会計のデュポン分解式のエッセンス(あくまで僕が思う)とは、数字的な目標(財務会計ではROE、バスケットボール分解式では得点)と、内部の活動な関係性について概観することで、原因と結果の関係を明確にするものです。つまり、この目標達成のためには、この活動に問題がある、などが分かるということです。

「創って、作って、売る」の三枝匡先生の業務プロセスのエッセンス(あくまで僕が思う)とは、活動全体を3つ(程度)の普遍的なプロセスに分割し、それらの関係性について論ずるというものです。要素に分解するだけではなく、その関係性についても改めて考えるのです。

で、ここではバスケットボールの活動とは、「運んで、打って、入れる」という3つの活動にそれぞれ分かれていると考えています。それでは、式を見ていきたいと思います。

期待得点と全攻撃回数

まず、期待得点とは、「1回の得点回数で、入れた点数が何点か」を考えています。つまり、一回のシュートで何点入れる期待があるのかです。「運んで、打って、入れる」の「入れる」に相当します。計算方法は単純で、"全得点 / 得点回数"です。

得点回数の数え方ですが、フリースローの機会1回につき、1回の得点回数と考えています。また、1回のフリースローで、1本も入らない場合でも、0点の得点と考えます。

"期待得点"は、シュートを入れた攻撃の中にどれくらい3Pが含まれているか、バスケットカウントはあるのか、フリースローの確率は良いのかという要素によって変化すると想定されます。

ここで、全攻撃回数について触れます。僕の考えている理論では、対戦しているチームAとBは、本質的に同じ回数攻撃していると考えています。これは、あくまで理論的な操作です。ただ、こう考えることで、対戦チームの比較が容易に行えるのです。

例えば、上記の式に"全攻撃回数"をかけた場合、値は得点になります。つまり、上記の式は、得点を分解した式となります。バスケットボールが得点の大小を競うスポーツですが、得点以外に対戦チームと比較可能な値が必要だと考えました。これまでのBox Scoreで値を細かくとったとしても、その各値を対戦チーム間で比較することに何か意味があったでしょうか。

この時、各チームで同数与えられているものを想定することで、得点以外の値をチーム間で比較することが可能になると考えました。そこで、対戦しているチームの全攻撃回数は同数であると想定します。また同数なので、上記の式の最後に"全攻撃回数"をかけるような野暮なことはしません。(個人的には、"全攻撃回数が対戦チーム間で同数"という理論的な操作が、僕のバスケットボール分解式の最も大きな発明!であると思っています。

Attack率

次に、"得点回数 / シュート回数"とは、シュート率に近いと思いますが、ここではオフェンスリバウンドが続く限り、1回のシュート回が続くと考えます。「運んで、打って、入れる」の「打つ」と「入れる」の関係性に相当します。今後、便宜的にAttack率と呼ぶことにします。

Attack率は、単純なシュートの確率の良さ、オフェンスリバウンドの多さ、速攻の多さに起因し変化すると考える事が出来ます。

Challenge率

最後に、"シュート回数 / 全攻撃回数"です。すでにシュート回数と全攻撃回数については触れているので、割愛します。「運んで、打って、入れる」の「運ぶ」と「打つ」の関係性を表します。今後、便宜的にChallenge率と呼ぶことにします。

パスミスの少なさや相手のカットやスティールの大小によって変化します。


すでに各値がどのようなもので変化する可能性があるのかについては触れましたが、バスケットボール分解式をもって分析するこでで試合中の意思決定や練習メニューの構築などに役立つのではないかと思うのです。

それでは、次は実際に分析を行ってみたいと思います。

2015年3月21日土曜日

引越しは、恥ずかしい。

こんにちは、こんばんわ、KoR89こと畠山薫です。
無事修士号を取得出来ました。ぶっちゃけ、不安で、2日ほどよく眠れなかったですw


引越しは、恥ずかしい。


最近、引越しをしました。

高校を卒業し、1年間浪人生を送り、大学進学を期に一人暮らし。
あれから、6年。大学生活、HMBA生活の間、僕は1人でした。

そうして、2015年2月に僕は引っ越しをしました。

今度は、、、
母と妹と3人暮らしとなりました。

表向きの理由としては、
ここ数年、母の体調が芳しくないものの、仕事を続ける上で、東京に住んだ方が良いだろうというのが、第一の理由です。
また、看護師を目指す妹が、今後実習や夜勤などが増えていくことが予想される中で、東京に住んだ方がいいだろうというのが、第二の理由です。

その時に、 この4月から働く僕が一緒に住んだほうが、家族全体で見た負担が小さくなるだろうと考えられたからです。

しかし、僕にはそれ以外の理由もありました。

一度出た息子が家に戻ってくる。

その行動は、メリットよりもデメリットが強調されるかもしれません。

  • 朝、ぐっすり眠れない。
  • 基本、食べたいもの好きな時に食べれない。
  • 飯の食べ方を注意される。
  • 遊びに行くのに、いちいち報告しないといけない。
  • 電話がしにくい。
  • 他の家族の洗い物、洗濯物をしないといけない。
  • etc
まぁ、正直デメリットは多いです。
一言で言うと、次の言葉です。

不自由


やっぱり、家族と暮らすのは、基本不自由なのです。

それでも、僕が家族と暮らそうと思ったのは、そもそも僕が僕の自由を御することが出来なかったからです。

なぜ、僕が生活をコントロール出来なくなったのか、、、

理由は色々ですが、ここでは「モノが増えすぎた」のが、その理由の一つです。

まず、僕は、実家を出る時に300冊くらいのマンガや本を持って出てきました。
6年間の一人暮らしを経て、AKB関連の雑誌、経営学に関する本、楽譜、小説、マンガ、その他諸々の本が増えて来ました。

また、僕は6年間の一人暮らしを経て、趣味を増やしました。

ギター、、、はあまり上手くならなかったので、エフェクター作り。
ラーメン屋のバイト先の仲間と一緒に始めた、自転車。
プラモ、カメラ、プログラミング、、、etc

趣味が増える度に、僕はそれに必要なものを買い足してきました。

普段の生活では、これらは巧妙に隠されていました。
本棚にちょこっとホコリを被りながら、整理されていました。

「いつもは」、僕が増やした色々なものは、僕の意識の外でなかったことのように整理されています。

しかしながら、引っ越しをすると、整理された本と趣味が僕の前に忽然と現れます。
本と趣味は僕にとって、僕が増殖させてきた過去の欲望が、よく手入れされていない状態であることを物語っていました。

よく扱えてもいない僕の欲望を、引っ越し業者の方に持たせている時に(特に、本は重たい)、僕は自分を自分でコントロール出来ていなかったことを、改めて感じ、非常に恥ずかしい思いをしたのです。