2021年3月1日月曜日

落合陽一から何かを学ぶための補助線

 ※このブログから構成を変えて行こうと想います


落合陽一さん(以下、落合さんと呼び捨てを併用)のなさっていることは一見すると多種多様であり、まとまりが無いように感じる。僕もそうであった。ただこの人は、一見の価値があると思ったのは「WEEKLY OCHIAI 」のコロナ特集を見た時だ。彼はコロナの第2派への対策がうまく行かないのではないか危惧は、「人々の規範(意識)」が壊れてしまい共有化されていないことが原因ではないかと喝破した時だ。その指摘はまさしくその通りだと私も感じたし、なかなか"正しく"言葉にできないモヤモヤを落合さんが表現した時に、彼の社会への見方が卓越しているものであると感じた。

(14:30頃を見てください)

なぜ、落合陽一から学ぶ時に補助線が必要なのか

落合さんとしても理解されないことについて、それなりにモヤモヤしているとのではないかということは、ツイートを見ていても感じる。ちなみにそれについては落合さんがnoteに書いている。内容は有料なので全部は読めていない。ちなみに、このブログはすべて無料で確認できる落合さんの講演などをもとに書いている。

落合さんの一連の動画を見ていって、彼の考えから学べるものがないかを考えていると、むしろ彼の言っていることよりも、まずは落合さんという人間を自分の中で位置づける必要があるという結論がいたった。落合さんの活動は多様であるからこそ、自分が参考にならないなと思う部分と「ほほ〜、なるほど」と感じると部分が存在する。だからこそ、個々の活動に目を向けるのではなく、それらを整理するための落合さんへの理解こそ、落合さんから学ぶ補助線になると思ったのだ。(ちなみに、妻は落合さんから学ぼうとする僕の姿勢に対して、「落合シンパ」と言ってきて話を聞いてくれないので、このブログを書いている)

そして、多くの人にとってそれが補助線になるのではないかと思う。その根源には、「落合陽一は、得体が知れなくて、どう捉えていいか分からない」という不信感・不安感があるからだと思う。この記事は、落合さんから何かを学ぶ時の補助線として僕の、落合さんの捉え方を書いていく。


落合陽一を理解するための第1の補助線:彼は好奇心の人である

他人が同意してくれるか分からないけれども、類型的に私は人間の原動力を3つに分類できると思う。
  1. 主義・主張タイプ。彼らは自分の考え方を主張することや、実現することを第一に考えている。
  2. 利益タイプ。彼らは基本的には自分にとっての損得をベースに考えている。
  3. 好奇心タイプ。自分が好きなことや興味のあることに取り組むこと原動力である。

私の分類では、落合さんは好奇心タイプだ。好奇心タイプの特徴は、大きく分けて2つある。1つ目が、基本的に関与するかしないかの基準が「おもしろい」かどうかである。そのため他人から見た時に落合さんのメリットがなさそうだなと思っても、実は取り組んだ時点で落合さんのニーズが満たされているのではないかと思う。2つ目が、移り気だということだと思う。継続的に興味を持っているケースもあれば、「今、この瞬間に」興味があることに取り組んでいることがある。

落合さんの場合に、根幹にある継続的な興味は「メディア・アート」なのだと思う。私の理解だとメディア・アートとは、人間がメディア(媒体)を通じて感じる全ての感覚を芸術として捉えることだと思う。そういう意味で、人間と物とのインターフェイスに彼の興味は集中している。ちなみにメディア・アートの話をしていて、分かりやすいかなと思ったのはこの動画です。
↑これがメディア・アートを理解する上で、比較的分かりやすい

↑比較的最近の考えを聞くのであれば、こちら


落合陽一を理解するための第2の補助線:彼は天才的なハッカーである

これは第1の補助線とは違って、彼の資質や特性についての話ではなく彼の能力の高さについての話である。そして、一般に広く見られているものは、実はこの第2の補助線で整理できる活動だと思う。

落合さんはまず、天才で働き者だ。普通の人ができないだろうと思うような量の仕事をこなしている。そして、その方法も普通の人にとっては「へ〜、そうやってやるんだ」という業界のノウハウと、「えっ、そんな方法あるの!?」という驚きに満ちている。そういった方法を複数用いて、落合さんは実は社会をハッキングしているのである(もちろん、システム開発者としてもハッカーだと思う)。彼の得られている職は、単純に言えば彼の能力を評価された結果であるし、彼が社会をハックした結果であると思う。

なぜ、彼が社会をハッキングするのかというと、理由はやっぱり好奇心だと思う。まずは、ハックすることそのものが楽しいのだ。つまり、社会をどうハックすることが出来るのかそのことへの興味があるのだと思う。落合さんがテレビに出た理由として「筑波大学の受験者数が増えるから」と言っていたが、それは新しいライブラリ(プログラミングの話です)が出てきた時に、少し使ってみると発見があることに似ている。

そして、何より彼の中心的な好奇心(つまり、メディア・アート)を継続的にするための手法を模索しているのだと思う。彼が大学に職を得ていることや事業をすることは自分の根幹にある興味(メディア・アートの研究)を継続するためのハックをしているのだ。例えば、従来の国から研究費を獲得してそれを使い研究をするスタイルは既に破綻しており、彼としては研究者が自ら事業化することで自分の研究を進めていくべきであると言っている。これもある種の社会ハックなのである。

↑研究費の獲得について変更を話している
↑これは上の画像の元ネタです。周りの人がGoogleの社員ということで
観客のリテラシーをそこまで気にする必要がなくて割とリラックスしている。

普通の人が、落合陽一から学べないこと

まずは彼から普通の人が学べないことだ。ここで言う普通というのは、落合さんと同じ魂の色を持っていないことを指す。落合さんと同じ魂とは「メディア・アート」とか、落合さんの提唱する「デジタルネイチャー」という世界に対して興味を持つことができるかどうかだ。正直、私もここの人間ではないので傍目から見ていておもしろなと思うのは、「世界の再魔術化」と「ソフトウェアがハードウェア(物体)を支配する世界」という概念だ。

「世界の魔術化」というのは、マックス・ウェーバーの「世界の魔術からの開放」の対になる言葉だ。どういうことかと言うと、これまでの製品やサービスは視認できるものが多かったが、ICチップなどの外からは動きが分からない仕組みの中で完結してしまい、様々なサービスがあたかも魔法のように提供されるようになるという世界観である。

「ソフトウェアがハードウェア(物体)を支配する世界」という概念は、まさしく「世界の再魔術化」を実現する背景で、ソフトウェアによって物質をコントロールすることが出来るようになってきていることを指す。例えば、落合さんの実績であれば、音波によって物を浮かせる研究が該当する。あれは(多分)ソフトウェアの計算能力が増えて、ソフトウェアのコントロールするハードウェアの解像度が上がることで、出来るようになった「ソフトウェアがハードウェア(物体)を支配する世界」の一現象である。

普通の人が、落合陽一から学ぶこと

前置きが長くなってしまったが、落合さんから普通の人が学べることは、彼の天才的なハッカーとしての部分である。彼のやっていること量と質は、到底普通の人が真似できるようなものではないと思うのだけれども、実は一つ一つを見れば真似できるような気がする。例えば、テレビにコメンテーターとして出ることも規模を縮小して、なにかのYouTubeチャンネルに専門家として出るだけならもしかしたら出来るような気がしないだろうか。または、社会をハックする時の世界の見方である。彼の現在の社会に対する見方は、かなり現実的(この彼の興味の根幹と現実的なものの見方のギャップが、彼の凄さだと思われる)であるから、そこから学べることは大きいのだと思う。

このブログを書いている中で、彼が自分がADHDの気質であり、ADHDのマイナス面をどう回避しているのかというTIPSを紹介していた。個人的に、これは参考になるなと思うところを紹介したい。


あと彼の(社会)ハッカーとしての手法と、社会への見方については、普通にWEEKLY OCHIAIが参考になる。ぶっちゃけ毎回おもしろいわけじゃないが、これがあるからひとまずNews Picksは続けている。以下は、面白いと思った回を紹介。

↑社会ハッカーとしてのデジタルの社会適応の話をおもろい

↑これは出演者の人が積極的に自分の意見を言っていておもし

このブログで落合さんから具体的に学んだことではなく、落合さんから何かを学ぶための補助線をひいいてきた。簡単にまとめると以下のとおりだ。
  • 普通の人 → 落合さんの社会ハッカーとしての手法と世界の見方
  • 落合さんと同じ魂の色を持つ人
     → 上項にプラスして、メディア・アートを社会の中で位置づける考え方全般