2012年10月15日月曜日

TEAM NACS ~彼らの関係性~


こんにちは、こんばんは。
お酒の飲んだ勢いでこのエントリーを書いてます。
KoR89こと、畠山薫です。


『TEAM NACS』

TEAM NACS(チーム ナックス)という演劇グループをご存知でしょうか?

俳優・大泉洋が大学生時代から参加する演劇グループです。
Wikipediaを参照すると、以下のようになります。

TEAM NACS(チーム・ナックス)は、日本演劇ユニット。及び、北海道ローカルのテレビ番組に多数出演をするグループ。
北海道札幌市にある芸能事務所・CREATIVE OFFICE CUEに所属し、大手芸能事務所アミューズと業務提携を行い「北海道以外の全国区の仕事は、全てアミューズが手がける。」と言うシステムを執っている。
彼らの最大の特色としては北海道発、そして北海道を中心に活動していることです。(もちろん大泉さんは全国区に活動の軸足を移しているように、他のメンバーもリーダー・森崎さん以外は活動の軸足を全国に移しています。)

彼らの最新公演「WARRIOR〜唄い続ける侍ロマン〜」では、「今、もっともチケットの取りにくい劇団」と評されるほどに、その勢いは演劇界に一目置かれる存在になったのではないのでしょうか。

彼らの公演は東京に進出した「LOOSER」から前作の「下荒井」に至るまで、一貫して5人だけで公演を行なって来ました。(最新作から他の劇団員も参加しています。)彼らはたった5人で、年約60公演を行って来ました。

彼らの魅力はなんといってもその仲の良さです。
大学のサークル(北海道学園大学・演劇研究会)を母体とした、いわゆるサークルのりの関係性は多くのファンを惹きつけています。特に彼らの冠番組である「ハナタレナックス」では、その仲の良さを垣間見ることができます。DVDも発売されているので、ぜひ購入していただきたいです。

しかし、彼らの関係性は決して順風満帆なものではなく、解散の危機があったことが5月に放送された「ハナタレナックス」で示唆されています。

解散の危機

解散の危機をファン(僕を含めた)が感じていなかったかと言われると、実はそうではありません。

2000年前後の関係性は、所属事務所の社長である鈴井さんが企画・構成していた「鈴井の巣」を見ても分かる通り、かなり良好のように感じられます。まだ20代のメンバーが多く、雰囲気もこれからの生活の不安もなく明るいものに感じられます。

その後「ハナタレナックス」は始まり、当番組で例年行われる沖縄ロケなどを見ても彼らの仲の良さを伺うことができます。その後の東京進出と彼らは演劇人・芸能人として確実にステップアップして行きました。

しかし、その関係に反比例して彼らの関係性は変わって行きました。

まず、大きくステップアップしたのは大泉洋でした。
大泉洋は、昨年2011年の日本アカデミー賞主演男優賞を取るような、日本を代表する俳優に成長しました。彼の活動の軸足もすでに北海道にあると言えないほどに、東京に移されています。彼は実に多忙で、「ハナタレナックス」をはじめとする『TEAM NACS』の活動に確実に支障をきたすようになり、大泉洋自身が番組内で「こんなことするために北海道に帰ってきたのか」という発言を度々繰り返すようになっていました。

元々、『TEAM NACS』自体が大泉洋の人気におんぶに抱っこの状態から始まりました。
メンバー自身も当時から認識していたのように、「水曜どうでしょう」で人気を博した大泉洋を使って集客し、他のメンバーの魅力に気付いてもらいながら客足を伸ばすという戦略を取っていました。

もちろん今では大泉洋・一強時代は終わりましたが、圧倒的に大泉洋が知名度が高いことは変わりありません。それが以前までは北海道内で収まっていましたが、現在では全国区になり単純に知名度の差は以前よりも大きいのではないのでしょうか。

次に森崎さんを除いたメンバーの東京進出です。大泉洋に続き、他のメンバーも続々と東京進出を果たすようになります。彼らの中には、「東京に進出して全国区で成功することは、北海道内での評価を更に高めることになる」という認識があるようです。

東京に進出することにより、仕事の幅も種類も多様になり、メンバーも「自分のやりたいこと」が見つかるようになったようです。

そうしてメンバーの方向性が徐々にズレて行ったのが、解散の危機の一つの原因でした。

もう一つの原因は、関係が煮詰まってしまったことでした。
彼らは、「LOOSER」の東京進出、そしてその後の全国公演というプレッシャーをたった5人で背負うことになりました。おそらく所属事務所であるOFFICE CUEが、他の劇団員を客演として呼ぶ程の金銭的な余裕がなかったのではないのでしょうか。

その全国公演のプレッシャーに、リーダーで作・演出の森崎博之は結果的に意見をメンバーに求めるようになります。以前の「WAR」のメイキングを見ると分かるように、森崎博之がメンバーをかなり引っ張っていた印象があります。

しかしながらメンバーが作品に意見をいうようになり、結果的にみんな納得のいく作品(脚本)を作り、それを演じるというスタイルに変わって行きました。結果、メンバーの話し合いで議論が平行線をたどり、行き詰る時間も多くなったようです。

そのようにして結果的に誰かが我慢しながら作品を作ることになり、これが演劇することにこだわりをもつメンバーにとって亀裂を生む原因になったようです。

結論としては、メンバーの方向性の違いと演劇への意見の相違が、私達の分かる解散の危機の原因でした。

「WARRIOE」

一時は解散の危機さえ感じた関係性が近年、特に「WARRIOR」を迎えるにあたってかなり良くなった様にいちファンとしては感じています。その関係性は、2000年前後のそれに近づいているように感じています。

彼らの心境の変化とは一体何だったのかを正確に知ることはできませんが、森崎博之の「死ぬときに思い出すのは、家族と「TEAM NACS」だ。それぐらい僕にとって大事な存在である。」という言葉に全てが現れているのではないのでしょうか。

Appleの創業者であるスティーブ・ジョブズもガンを期に人生観が変わったことを告白していますが、死を意識することが考え方に与える影響は計り知ることが出来ないのではないのでしょうか。もし余命が1年しかないと言われたら、今もっているもの(家族、友人、同僚など)を大事にするのではないのでしょうか。

彼らは、やりたいことが見つかる30代の終わりを迎え、自分が本当に大切にしなければならないものを知りました。

まさに『論語』の

「子曰く、吾十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る。六十にして耳順(したご)う。七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず。」http://www2s.biglobe.ne.jp/~kuribou/rongonokotoba.htmより)

の道中にいるのではないのでしょうか?


2012年10月9日火曜日

『オタク・イズ・デッド』 ~オタキング・岡田斗司夫の玉音放送~

こんにちは、こんばんわ、KoR89こと畠山薫です。
急に寒くなって、風邪を引いてしまいました。しかも、季節はずれの花粉症のように鼻が痒いです。


オタク界の玉音放送

私がよく見る動画の一つに、岡田斗司夫さんがLoft+1で行った「オタク・イズ・デッド」というものがあります。



この動画は、岡田斗司夫さんが2006年5月24日に新宿ロフトプラスワンで行った講演会のものです。このころの岡田さんはまだ体型もふくよかで(また最近恰幅が良くなられてきましたがw)、誰もが「いつまでもデブだ」と思っていました。

田斗司夫さんは長らくオタクの王様、「オタキング」を名乗ってきたわけですが、その国民たるオタク達がすでにいなくなり、オタク王国が滅んだことを王様たる彼自身の口から宣言された、まさにオタク界の玉音放送でした。

岡田さんは、SF界からアニメ業界、そして最終的には評論の世界に足を踏み入れた変わり者だと思われますが、彼がオタクをどう見ていたのかをまとめてみたいと思います。

オタクの定義

彼のオタクに対する不信感は2005年ごろから徐々に確信に変わってきたようですが、オタクが死んだことを宣言する時に必要なのがオタクの定義でした。さまざまな論者によって行われたオタクの定義を踏まえて、彼はオタクを以下のように定義しています。

「好きなものは自分で決めるという強い意志と、           
           それを継続させることのできる知性をもつもの」

このように定義すると、さも偉大な人間に思われますが、岡田さん自身も「オタクはオタクであることで普通の人間を超えた存在」と言うように、酔狂ではなく信じるからこそ、彼は「オタキング」を名乗っていたのです。

まず簡単に整理すると前半の「好きなものは自分で決めるという強い意志」の部分は、12月の末はクリスマスではなくコミケを選ぶや、ワールドカップなんて見ないでアニメを見るなどが挙げられます。この資質は、子供の頃の早い段階に獲得されなければならないものと岡田さんは考えており、ある意味先天的な資質であるため、のちのオタク貴族主義につながると考えていました。

後半の「それを継続させることのできる知性」の部分は、オタクは絶えず一般の人から「どうしてそんなものが好きなのか?」「そんなものを好きで価値があるのか?」という問いを浴びせかけられます。それに対し説得的にかつ、一般の人にも分かるように答えていかなければなりません。このたえざる問いに答えらえるだけの知性が必要なのです。この知性へのこだわりが、のちのオタクエリート主義につながっていったのでした。

この定義で重要なのは、アニメファンもミリタリーファンもBLファンもすべてが一様にオタクなのです。何を好きであるかは本質ではなく、それを支える精神性が重要であると岡田さんは考えています。また語義的にはオタクが主で、ファンが従の関係です。

オタク貴族主義とオタクエリート主義については、後々触れていきたい思います。

SFファンの歴史

オタクと同様にSFファンも過去に死に絶えました。その理由は、SFファンの拡大したからでした。

漫画にもアニメにも、そしてSFにもエポックメイキング的な作品が数多くありますが、例えば岡田さんが挙げるSFファンを終わらせた作品は「スターウォーズ」でした。

「スターウォーズ」はSFファンならずとも、楽しめる作品です。この作品によりSFファンが急増しました。しかしながら、同時にその中には流行っているから好きだという「にわかSFファン」も存在しました。そこには「強い意志」は含まれていませんでした。

また、これまでのSFファンなら当然知っていたようなSF古典に対する知識などが急速に失われてしまいました。「スターウォーズ」に関する情報を欲するものの、他のSF作品に興味を示すものは少なかったそうです。

背景には、みんなの知っている(つまり、弱い意志によって)スターウォーズの情報が欲しいという欲求と、誰もが「スターウォーズ」を認めているため、スターウォーズをはじめとするSFを好きな自分を擁護する知識が不必要になったことがありました。そのため知性は不必要になりました。もしくは、スターウォーズに対する知識のみが求められました。

このようにSFファンは、もともと持っていたファン内の強い連帯感(つまり、後に続くオタク気質)を失ったのでした。

オタクの歴史

SFファンももちろん気質的にはオタクです。しかしながら、SFファンはオタク的グループの中でも早い段階でオタク気質を失いました。

岡田さんは、オタクを、オタク原人、オタク第一世代、オタク第二世代、そして第三世代と分けて考えています。岡田さんは、自身を第2世代であると考えています。その10年弱上の世代が第一世代、そしてさらにその上をオタク原人(オタク的気質を持っているが、完全なオタクではない)と考えています。

オタク原人についてはあまり触れられていませんが、第一世代をオタク貴族主義者、第二世代をオタクエリート主義者と考えているようです。この両者の違いは、オタクの定義の中の強い意志を強調するか、もしくは知性を強調するかで変わってきます。

第一世代の貴族主義者は、自身をオタクと認める強い意志を強調します。その背景に情報の入手困難性をあげています。特定のもの、そのもの情報が入手困難であるようです。つまり、現在進行中で進歩していたり、もしくは全集のように情報が整備されていない状況では、知識(知性)を強調することが困難であるのです。そのためオタク貴族主義者は、周りから認められたいという欲求自体は極端に低いそうです。

第二世代のエリート主義者は、自身のもつオタク的な知識(知性)を強調します。その背景に、情報が完備されたことを挙げています。例えば、不朽の名作がそらった全集があるので知識を受容する環境が整備されているわけです。そのため知識を強調するようになります。また、岡田さんは直接的に述べていませんが、自己と他者を区別するために知識の量を競うことが多々あったそうです。

結果的にオタクの知性を強調する人が多くなり、完全にオタク的気質を持っているものでさえ、「自分はオタクとしてはまだまだです」という謙遜をするものが増えたそうです。

オタク第三世代

オタク第三世代とは、つまりオタクの総数が多くなりオタク的な気質(強い意志と知性)を失った世代のことです。オタク全体(つまり、SFファンなどの特定のジャンルではなく)が徐々に増え市民権を持った背景を岡田さんのストーリーで説明すると以下のようになります。

やはり、オタクは蔑まれる存在として扱われることが多かったそうです。非オタクが好きにならないものを好きであるということを、周りから奇怪な目で見られたそうです。しかし、その中には明らかにオタク的な気質を持たないものがいました。つまり、オタク的な印象(根暗等のネガティブな印象)を持つもの、つまりその人の生来の気質として根暗な人もオタクとしてカウントされました。彼らは決してオタク的気質を持っていないにも関わらず、ただ性格が暗いというだけでオタクと考えられました。このようなオタク人数の水増しがあったそうです。

次にあったのは、「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」でした。犯人の宮崎容疑者はオタクでした。これによって、オタクに対する風当たりは強いものになって行きました。もともとオタクは自身をオタクとして世間に対してアピールすることはないにも関わらず、更にオタクは肩身の狭い思いをするようになります。

ここでよく勘違いされるのは、オタクをアニメ・マンガファンと考えられることです。岡田氏が言うには、アニメ・マンガファン(さらにこの内部でも細分化されますが)はオタクの一部でしかなかったのでした。ファングループが肩を寄せ合い数を大きくしていたのが、オタクでした。

そのようなオタクの風当たりの強い状況に変化が起こりました。

経済的な停滞がオタクに対する評価を変えました。アニメ・マンガは輸出産業になることが徐々に明らかになったのです。そのため産業界の停滞感も合わせて、アニメ・マンガに対する期待感も生まれ、アニメ・マンガファンをオタクだと断定する世間の認識ともにオタクが注目されるようになります。

その後「電車男」等を経て、世間に対して自身をオタクであると宣言することがはばかられる状況が薄らいできました。こうしてオタク第三世代が生まれました。

このオタク第三世代の特徴は、自身をオタクと認めること(知識面を強調し謙遜しないこと)、そしてその大半がアニメ・マンガファンであることです。もちろん総数が増え、特定のものを好きになるために必要な強い意志も弱まりました。アニメ・マンガファンをオタクとする認識は他の領域のオタクとのコミュニケーション不全を起こし、結果オタク大陸は消滅しました。

『オタク・イズ・デッド』

オタクはもともとマイノリティという状況を打破するために、オタク人数を増やすことを自ら望んでいました。しかしながら、目的を達したがためにオタクは内部崩壊をしてしまったのでした。岡田さんは最後にこういう結論に至ります。

「今やみんなが肩を寄せ合ったオタク大陸というものがなくなり、本来的にオタク的気質をもつものは孤独になってしまった。だから個々人が強い意志を持つことがまた必要になった。そして、人から理解を得るために、自分が何を好きなのかを人に伝え続けなければならない。そうやってまた仲間を増やして欲しい。」

つまり何十年にもわたり作り上げたオタクのコミュニティは崩壊し、コミュニティがない時代に戻ってしまったのでした。

さいごに

岡田さんは、自身のことを正確には第一世代と第二世代の中間の存在として考えていたようです。「強い意志と知性」の両方を完全に備えると自分で自負するからこそ、オタキングと自身で呼ぶことができたのだと思います。

この話は、「オタクはすでに死んでいる 」(新潮新書) [新書]にまとめられています。

岡田さんは、オタクについて人間関係を軸に考えました。僕もオタクについて別の視点、好きなモノを中心とした目的を軸に考えていきたいと思います。