2013年3月25日月曜日

羽生とジョーダン ~歴史を変えた天才の系譜~

こんにちは、こんばんは。KoR89こと、畠山薫です。
今日は「ニコ生電王戦緊急対談」で行われた、羽生善治さんとドワンゴ会長の川上量生さんの対談が非常に面白かったので、少しハブさんについて書いていきたいと思います。

羽生とジョーダン

~歴史を変えた天才の系譜~



会談の趣旨

この羽生善治さんと川上量生さんの会談は、現在行われている 人間 対 コンピューター の棋戦である電王戦を迎えるにあたって行われました。そのため人間とコンピューターの違いや、将棋とITの接点から見えてくる化学反応などが対談の中心でした。

僕の知る限りの羽生さんの対談の中でも、特に羽生さんが楽しそうに会話しているのが非常に印象的でした。彼のようなその道のプロは質問される側であることが多いと思うのですが、対談相手が彼が興味をもつ分野(コンピューター・サイエンス)の経営者である川上さんであったこともあって、彼が逆に質問することも多かったです。

頭の良い人に典型的に現れる、頭の回るスピードが口のスピードを追い越してしまって、微妙に挙動不審になる羽生さんの姿が久しぶりに長時間に渡り、しかも連続して見れたのが個人的には微笑ましかったです。羽生さんは、将棋界でも公に立つことが多いこともあって、こういう場では割りと平静を装うことが多いので、なおさら印象的でした。

人間とコンピューター

僕も僕なりの人間とコンピュータの関係性について持論を持っています。僕の領域から言えば、どれだけ経営にコンピュータを利用することができるのかということです。個人的には経営学とコンピュータは相性が良いように思います。それは組織内の多人数のシュミレーションは、人間の頭よりもコンピュータに任せてしまったほうが良いと思うからです。

経営学の一つの側面は、おそらく完成しないだろう組織のシュミレーションのアルゴリズムを作り続けることだと思うからです。

そのように出来た不完全な(いつかは完成するかもしれないけど)アルゴリズムは、まったく無価値なのかと言われると、決してそういうわけではありません。つまり不完全だと分かっていれば、そしてどのような点で不完全なのか分かっていれば、途中まではコンピュータが計算してくれるからこそ、最後の計算、つまり決断の精度を上げるために利用できると考えています。

さて、僕はコンピュータの専門家ではないので、前置きはこのへんにして、本題に入りたいと思います。

羽生善治という天才

天才とはどんな存在であるのでしょうか?

僕の中には、天才に対するはっきりとした人間像があります。それに照らし合わせると、例えばイチローは天才ではありません。僕の中では、イチローは突出した才能がある人間ですが、天才ではないのです。どうして僕はイチローを天才と呼ばないか、それについて羽生善治とマイケル・ジョーダンという二人の天才を見ていきたいと思います。

羽生さんは将棋界の歴史を変えた人物であることは、言うまでもありません。彼の偉業と言えば、Wikiから引用すると「1996年2月14日将棋界で初の7タイトル独占を達成。」や6つの永世称号、タイトル獲得数歴代単独1位などに象徴されていると思います。圧倒的な強さ、その強さだけでも彼は偉人なのです。

しかしながら、僕が彼を天才と断定するにはある決定的な理由が一つあります。
羽生とほぼ同じ年齢にトップクラスの実力者が集中しており、彼らは「羽生世代」と呼ばれる。
この事実に他なりません。羽生だけが圧倒的に強いと将棋を知らない人は思っていますが、そうではないのです。実は羽生の世代(今40歳前後)が他の世代に比べて、特に前の世代と比べて圧倒的に強いのです。

この世代が将棋の歴史を変えた世代であり、そして羽生がその震源地であったのです。

羽生のパラダイム・チェンジ

羽生が何を起こしたのかについて、極めて分かりやすく説明されています。

羽生出現前夜をおおまかにまとめると、以下のようになります。

  • 定跡というある程度整備された手順が、羽生が現れる頃には完成していた。
  • 定跡に沿うと、どちらが勝つかはほぼ決まってしまう。
このような状況になって、定跡が整う前に積極的に戦いに出るという新しい戦略を羽生は採用します。パッと見では、早い段階でコマ同士が戦い合う素人の将棋のようになってしまいますが、むしろ定跡が整っていない未開の地平だからこそ、どちらが勝つか分からない実力勝負になるのです。

そのような地平を開拓し、羽生は7冠を制覇します。

そして、そのようなパラダイム・チェンジは彼の世代以降にも大きな影響を与えます。多くの棋士が彼と同じ戦略をとるようになるのです。つまり、これまで彼だけが取っていた戦略を多くの棋士が採用するようになり、優位性が徐々に薄らいでいったのです。

それでも羽生が強いことは、今でもまったく変わりはありませんが。

マイケル・ジョーダンという天才

さて分野は変わりますが、バスケットボールの歴史を変えた人物としてマイケル・ジョーダンが挙げられます。エア・ジョーダンやバスケットボールの神様などの異名があり、そのプレーはいま見ても感動を覚えます。

そればかりではなく、野球やアメフト、アイスホッケーに比べてマイナーであったバスケットボールを一躍トップスポーツにしたばかりではなく、彼のシグネチャーモデルがナイキから発売されるなどマーケティング手法としても前例のないものでした。

彼はバスケット選手としてばかりでなく、スポーツ選手としても天才でした。

NBAの今

しかしながら、全盛期のジョーダンが今NBAに現れたとして、過去のような活躍ができるのかと言われると、残念ながら出来ないと思います。すでに彼が活躍できた時代は、過ぎ去ってしまいました。

ジョーダンの全盛時代は、スピードとテクニックの時代でした。

今は違います。今はスピードとテクニックとパワーの時代です。次期マイケル・ジョーダンと呼声高かったレブロン・ジェームズを見ると、その体つきに驚きます。2m超の巨体にしっかりと筋肉がついているのです。ウドの大木のようなヒョロッとした身体つきのプレイヤーは、今NBAにいません。

そのNBAのマッチョ化は、例えばシャキール・オニールなどの影響もあると思いますが、発端はマイケル・ジョーダンでした。

マイケル・ジョーダンは、NBAでもいち早く筋肉トレーニングを取り入れた選手でした。彼は一日ずつ左右交互に筋トレを行いました。そしてプロテインを飲み、理想の体をオフに作りこんでシーズンに臨むようになります。特にMLBに挑戦からカムバックした後の彼の肉体は、非常に理想的な肉体だと思います。

そして時が流れ、理想的に筋肉を付ける技術が向上しました。コービー・ブライアントは筋肉をつけすぎたためスピードが遅くなり、シーズンを棒に振ったこともありましたが、今ではそのような事態を避けながら理想の肉体を手に入れます。

天才とは

ここまで言うと、僕の考える天才とは何かわかって頂けると思います。パラダイムチェンジを起こすのが天才なのです。パラダイムチェンジを起こすためには、天才の後に天才の真似をする人が現れなければなりません。

天才の後ろには、道ができていないといけないのです。

そういう意味で、イチローは天才ではありません。彼は鬼才です。間違っているかもしれませんが、イチローの真似を積極的にしようとする人はいないと思います。つまり、彼のスタイルはメインストリートではありません。

羽生の基本戦略を多くの棋士が真似したように、マイケル・ジョーダンと同じようにオフに筋トレするプレイヤーが増えたように、その世界の新しい常識をつくり上げ、発展に寄与するものこそが天才なのです。

2013年3月8日金曜日

SKE48 秦佐和子の卒業に寄せて

今日はゼミの卒業旅行だったのですが、いささか思うところがあったのでみんなが寝静まった夜に書き始めました。さすがにゼミ生はビックリするかなw


SKE48 秦佐和子の卒業に寄せて


秦佐和子の卒業

3月7日のSKE48チームKⅡ公演で、秦佐和子自身の口より3月いっぱいで卒業する旨が伝えられました。

細かなことは、このへんを見ていただけると分かります。

SKE48秦佐和子 3月いっぱいで卒業を発表 - AKB48まとめんばー

SKE48秦佐和子の覚悟:SKE48まとめエンクラ

おおまかなこと言えば、本格的に声優への夢を追って声優学校に入り直すため、この3月をもってSKE48を卒業するとのことでした。

SKE48の憂鬱

近頃のSKE48は、嬉しいことと悲しいことが入り乱れています。

チョコの奴隷の総売上が60万枚を超えたこと、ガイシホールでライブが決まったことなどはファンの誰しもが喜べることです。個人的には生歌公演の開始や6期生加入も、SKEの未来を考えると非常に喜ばしいことだと思っています。

しかしながら、少し長い目でみると憂鬱なことが多いのも確かです。差し迫っている初期メンバーを含めた9人の卒業や元SKE支配人の湯浅さんの信任問題など、SKEがAKBの姉妹グループとして自由に振る舞えない姿を見ていて苦しくなります。

特に、日本でいま3番目のCD売上げを誇るグループとは思えないほど仕事量が少ないのが、様々なところに影響を及ぼしてきているように感じています。それがひとえに名古屋という土地柄の問題なのか、地理的な問題なのか。もしくは各メンバーの所属事務所が決まらずAKS所属だからなのか、それともレコード会社がエイベックスであることが問題なのか。もっと根本的にAKBの支店のようなポジションであることが問題なのか。

どれか一つには絞ることができませんし、おそらく全てが複雑に絡み合ってあまり自由度が高くないグループとして見えてしまいます。

そんな苦しいSKEの姿を、今回の秦佐和子の卒業でまず思い出してしまいました。

前向きな卒業

そんなSKEの姿と彼女の卒業をダブらせていましたが、彼女のブログを読むともう少し前向きなように思います。

色々な声のお仕事を頂いて、その上で 
自分の力不足、今のままでは声優になんて 
とてもなれないと言う現実をつよく感じていました。 
漠然とこのままだと、数年後には皆さんと 
一生さよならするときが来てしまうなと。
秦*卒業報告|SKE48オフィシャルブログ Powered by Ameba 
仕事が来る来ない云々ではなく、自身の力不足を嘆いている彼女の姿を垣間見ることが出来ます。そして同時に、彼女の声優への一途な思いを強く感じることが出来ました。

正直言うと、僕は声優にこだわらず女優やタレントといった道も彼女にはあるのではないかと思っています。タガの外れた表情や演技、バラエティでの振りへの対応で、彼女は他の人が真似できない非凡な才能を見せてくれます。むしろそのような領域こそ、彼女の持ち味が十二分に発揮できる領域なのではないかと思うのです。

しかしながら、彼女は声優に24歳になって再度挑戦する道を選びました。24歳から声優に再挑戦するということは、一般的に言って遅い挑戦であると思います。と同時に、最後のチャンスなのかもしれません。

架け橋としてのSKE48

私にとってSKEは夢へと歩き続けさせてくれた橋のような存在でした。
秦*卒業報告|SKE48オフィシャルブログ Powered by Ameba 
彼女は、彼女にとってのSKE48を「橋」と表現しています。

夢を追い続けるか諦めるか、その決断を保留にしながらも、0048などで声の仕事を実際に行えるようになって、夢が具体的に視界に入ったのではないのでしょうか。そういう意味で、仕事へとつないでくれた橋だったと思います。

しかしながら、もう少し拡大解釈したいなと個人的には思っています。

青春の橋

ちょっと汗臭いですが、誰しもが何かに夢中になったり、夢を語るような年代があったと思います。しかしながらそのような情熱は、自身の才能のなさや現実の厳しさなどを年をとるにつれ痛感し、徐々に沈静化してしまいます。

それは実力云々の問題ではなく、むしろ精神的な問題です。夢を追う気力そのものがなくなってしまうのです。

個人的には、夢への圧倒的な情熱こそが青春にとって必要なものだと思っています。そのような情熱は、一度失うと取り戻すことは困難です。だからこそ、そのような希少な情熱が輝く青春を、アイドルは売っているのだと思います。その一度失うと取り戻せないパワーを、僕は彼女たちからどうしても感じるのです。

声優を一度諦めかけていたという秦も、過去に青春を終えようとしていたのではないのでしょうか。むしろ、より現実的な方向(大学)に進みつつあったのだと思います。

しかしながら、声優へのくすぶる何かが、アイドルというまた違ったジャンルに挑戦することで蘇った。そこにはファンとの関係や自分の資質などを再確認があったのは言うまでもないですし、もっと大きな何かがあったのかもしれません。

秦の青春を再度蘇らせた、SKE48は青春の橋だったのです。
そういうSKE48や48グループの姿は魅力的ですし、意味のあるものだと思います。


今、僕は秦から強い青春の何かを感じます。
そんな彼女を、僕は応援せざる得ません。