2013年4月23日火曜日

雑記② ~文章を「描く」ことの難しさ / なんでオタクはジャンプするのか?~

雑記が三日坊主にならないようにがんばります。


文章を「描く」ことの難しさ

今回、文章を描くことの難しさについて日々実感しています。ここでいう文章を「描く」というのは、一文を書くというよりも文章の全体図を構築することです。近頃では、この点に自分の力不足を実感します。

僕はそこまで文章を書くことを苦手に思っているわけではありません。一文レベルで意味の分からない文章を書くことは少ないと、自分では認識しています。しかしながら、一文で表せないような複雑な理解や認識を表現するには、当然それに合わせた文章の構造が必要になります。

文章を読んでもらう機会を得て、僕のつくり上げる構造そのものが、他人には分かりにくいことに最近気が付きました。ぶっちゃけると、僕はずっと自分の理解を自分が分かるように文章に表現するところで止まっていました。例えば、「全体として文章にStructureが足りないので、そのよさが伝わりきれていないと思います」とか他人からコメントされてしまうわけです。

僕は文章を整理整頓してしまうことに集中してしまいます。なるべく誤解が生まれにくいように作ります。だから定義とか割りとしっかり書くようにしますし、段落の最初と最後で同じ事を繰り返すように気を付けます。

しかしながら、それらを多用すると文章の各部分の重要度の濃淡が描ききれず、読む方にも単調な読み方を要求してしまうわけです。文章の構造から描き出される、重要な部分にスポットライトを当てる方法論を得なければならないと考えています。

なんでオタクはジャンプするのか

サクラ大戦 【NHK】ゴールドディスク賞 檄!帝国華撃団



この動画を見て、十人十色の感想があると思います。単純に「賞を獲得して、嬉しそう」とか「歌に感動した」とか「サクラ大戦が好き!」。もしくは「さすがにイタいだろ」とか思う人もいるかと思います。

最初に僕がこの動画を見た時、「オタクがその趣味を大衆の前で表現するのは、なんて感動的なんだろう」と思いました。学部生時代に、たくさんの人前で特に上手くもないダンスをコスプレして披露しているオタクを見て、泣きそうになったのを思い出しました。

それは僕がオタクであるからこその感動であるといえるでしょう。

しかしながら、そんなオタクである僕でも他のオタクのよく分からない習性があります。オタクはなぜかテンションが上がるジャンプし始めるのです。それも「ピョーン、ピョーン」といった形で、マサイ族のジャンプみたいに長時間にわたりジャンプし続けるのです。この動画のオタクでも、列の右側(上手?)にいるオタクはず~っと飛んでいます。

僕のなかの仮説の中で一番有力なのは、歌っている人へのアピールです。例えば今回では、歌っている声優の横山智佐さんに彼女を応援している自分の姿を認識してもらうために、つまり目立つためにジャンプし続けているわけです。ぶっちゃけこのアウェイな場所で、横断幕やらサイリウムやらを持っているだけで十分に目立っていると思います。

オタクの特徴として、ひとまず「認識」してもらうことに全勢力を注入してしまうあまり、それが相手に、もしくは周りにどう受け取られているかについて配慮に欠けてしまうようなことが多々あることでしょう。

段々文章が長くなって結構しんどいですね。

2013年4月22日月曜日

雑記① ~町の電気屋のナゾ / マーケティングとは?~

ちょっと新しい試みとして、雑記的な小さな発見等々をまとめてみたいと思います。
おそらく内容は多岐に渡ると思いますが、基本的には経営学とかAKBのことが中心になるのではないかと思います。

雑記①

町の電気屋のナゾ

町の電気屋で、誰が客として入るのか不思議に思うような店が駅に1つぐらいあると思いますが、その中でも"Panasonic"という文字をデカデカと掲げている店があると思います。

これを「パナソニック・ショップ」もしくは、「ナショナル・ショップ」と呼びます。

いわゆるパナソニック・ショップです。

こんな町の電気屋さんを見ると、利益的にやっていけるのかどうか不思議に思うことも多いと思います。

現在、電気製品を買おうと思ったら、手軽にならamazon、実物が見たいなら大きな駅の電気屋さんだと思います。このような町の電気屋さんには、どの程度のものが置いてあるのか検討もつかないので、なかなか訪れることもありません。

しかし高度経済成長期には、このような「ナショナル・ショップ」は死ぬほど儲けました。それはものがない時代に、電化製品を買うところはココにしかなかったからです。そのように儲けたお金を彼らは、何に投資したのか。お世話になったパナソニックの株を買ったのでしょうか。違います。

彼らの多くが、土地を購入し、アパート経営に乗り出しました。現在の収入の多くが、アパート収入です。つまり、多くの町の電気屋さんは、ただのハリボテ(言い過ぎだけどw)で、アパート収入で生活しているのです。

TBSとか朝日新聞が、実は土地で儲けているという話を聞いていたので、過去に儲けたモノが土地を買ってそれを運営するのはよくあることだと思いますが、案外、ちゃっかりしてますねw

心配してたのに。。。

マーケティングとは?

学部時代は、賃金や人事とかわりと経営学の中でも組織系が多かったのですが、院ではマーケティングや戦略論系を勉強しようかと考えている昨今です。

なぜそのように思ったかと言うと、アルバイト先で社員さんからノウハウをヒアリングしてまとめる仕事をしている時に、社長から「ノウハウは、マーケティングの部分だけに絞ってまとめてほしい」という要望受けたものの、何を言っているかわからなかったからです。結果的には要望に応えたものになったものの、今思うとただの偶然でした。

さらに、facebookページを作ろうと思っている時にも、暗礁に乗り上げてしまい、こちらは失敗した経験をしたので、自分がいかにマーケティングを蔑ろにしていたかを痛感してしまいました。

現在、院に来てマーケティングの全体像が以前よりも明快に分かるようになりました。僕の理解を自分の言葉で表すと、マーケティングの最初の一歩は、自己排除と想像力です。

願望や目的、そのような自分に関わるものを全て排除して考え、他者の満足だけに焦点を当てる。しかしながら、他人の満足ほど見えにくいものはないから、それは想像しなければなりません。もしくは類推しなければなりません。結果的に想像という作業を含めると以上、自己を排除することが困難になってしまいます。

正しく自己を排除して、他者の満足を想像する。

これこそマーケティングの基本なのではないでしょうか。

この程度の雑多なものなら毎日書き続けられそうですw




2013年4月9日火曜日

『恋を語る詩人になれなくて』を聴いて欲しい

こんにちは、こんばんはKoR89こと畠山薫です。
「急に君に『恋を語る詩人になれなくて』のブログを書きたくなったんです。
読んで貰えますか?」

『恋を語る詩人になれなくて』



『恋を語る詩人になれなくて』とは

『恋を語る詩人になれなくて』は、SKE48 teamS 3rd 『制服の芽』公演の第一曲目です(Overtuneを除いて)。個人的にはSKEの中でも三指に入る曲です。

「急にこの曲について書きたくなった」のは、アイドルの曲ってそんなに良くないよねと言う方にこの曲を薦めたいのと、この曲を聞くたびにその歌詞の意味に思いを巡らせてしまう自分がおり、先ほどのランニング中にまとめたくなりました。

SKEの中でも基本的には良曲として知られるこの曲は、SKEとも縁の深い鉄平が自身のラジオ番組の中で局の慣例(アイドルの曲を流さない)を破って電波に載せたことで、最近また注目されました。

【速報】SKE48 ZIP-FM初ON AIR曲は恋を語る詩人になれなくて!!:SKE48まとめエンクラ

曲名の鮮烈さ

『恋を語る詩人になれなくて』という曲名はなんとなくネガティブな印象しかありません。まず、否定形の曲名というのは基本的には避けられると思います。例えば、「僕は明治大学生である」と「僕は東大生ではない」は言わんとしていること一緒ですが、厳密の意味は違います。

何かをビシっと伝えるには、「~である」と言い切ったほうが良いのです。

しかも、否定する言葉の合わせが悪いです。「恋を語る詩人」は全体的にポジティブな印象しか受けません。それを否定するということは、恋を語れないのか、それとも違うものを語るのか、受け取り手にモヤモヤした感覚を与えると思います。

しかしながら、それが逆に鮮烈であるとも言えるでしょう。

当然ながらこの曲も秋元康作詞でありますが、秋元康は否定形の曲名を作る天才と言えるでしょう。他にも48グループだったら、『アイドルなんて呼ばないで』も印象的です。


彼のデビュー曲の『言葉にしたくない天気』は否定形の曲名であり、池田聡に提供した『思い出さない夜はない』は、言わんとしていることは「毎日思い出している」ということです。でももちろん『思い出さない夜はない』の方が苦しんでいるニュアンスが伝わってきます。「本当は忘れたいのに、どうしても忘れられない」、そんな感覚がまじまじと伝わってくるのです。

『アイドルなんて呼ばないで』も、歌ってる本人はアイドルである、もしくはアイドルと呼ばれているという類推することが出来ます。実際に歌っているのは前田(敦)・峯岸・小野・河西であり、彼女たちはまさしく”アイドル”そのものであると言えるでしょう。

この曲名も「恋を語る詩人になりたくてもなれない」、恋をしている気持が今にも口から出てしまいそうな、そんなモヤモヤ、ウキウキした印象を受けるのです。

歌詞の良さ

これまで曲名からのみ受ける印象について述べて来ましたが、本格的に歌詞についても触れていきたいです。歌詞については、全部引用するとなんか摘発されてしまいそうなのでw URLを引用したいと思います。

さて歌詞をよく読むと、恋を語る詩人になれないのは当然です。なぜなら、君をみているのは「野に咲く花」なのです。おそらく次のような場面なのではないのでしょうか?
女の子が校庭の樫の木の下でボートッしているのを、野に咲く花が見ている。 
「君は何を考えているのだろうか。ボクは何も出来ないから、ボクを照らす太陽のように見守ろう。」 
女の子が、樫の木の下から走りだした。 
「何かを探すために、走りだしたのだね。それが青春か。」
ぶっちゃけると、これ以上の情報はありません。ここにときめきや切なさ、愛しさといった心情をのっけると、『恋を語る詩人になれなくて』になります。でも、聴いているだけではそのことには気が付きません。なんとなく、そういった感情そのものが「野に咲く花」のように健気であるかのように思えます。

まぁ更に、これをアイドルが歌い、ファンが聴いているということを考えると、どのように感じるかは言わずもがなではないのでしょうか?

個人的には、「ときめきはときめきのまま、」の部分が一番好きです。

曲調の良さについて

48グループ全体を通してギターのサウンドがすごく良いです。適度鳴いてるし、すごくポップで、メロディアスです。J-popのギターのいいとこ取りです。

特に音作りが好きです。ギターの音作りは、ギタリストの才能の半分を占めていると個人的には思っているので、歪ませすぎず、歌があるところではきちんと聞こえる(だろう)音作りがすごくいいです。強く歪ませていないから、ちゃんとピッキングによる音のメリハリがつくようになっているため、特にソロのギターが歌っています。

まず前奏は「恋をかたる〜詩人になれなくて〜」のメロディ部分を展開しています。歌のメロディをギターで展開すると、冗長になるような部分が多々見られるのですが、前奏の後半部分は非常にギター的です。

また間奏は、メロディアスというよりも一部速弾き(正確には違うけど)部分や、ピッキングハーモニクスやチョーキングのようなギターらしいフレーズが前面に押し出されています。加えて、ギター特有の停滞感を作りながらも最後はうまく盛り上がるように、特にダンスが盛り上がるように構成されているでしょう。そして、そのギターのソロに合うようにSKEのダンスも構成されています。

SKE48のダンスについて

SKEは、48グループの中でもダンスに特に力を入れているグループとして知られていますが、元気いっぱいで、大きな動きが多く、個人的な表現力よりも振りが揃っていることを重視しています。その中でも『恋を語る詩人になれなくて』は随所に工夫が見られます。

曲が始まるとみんなが振り返りますが特に松井珠理奈が印象的で、その笑顔を見るとSKEのセンターであることを再認識します。そして、前進しジャンプします。ジャンプのような振りそのものや、その高さがAKBにはないSKEの特徴です。

私が特に好きな振りは、「(詩人に)なれなくて、言葉を語るより」のサビの途中部分です。見る際には、是非遠くから見ていただきたいのですが、その場で回転する振りで、一列目と二列目が別々の動きをしています。まず「なれなくて」では、左右の回り方が違い、同時にしゃがむタイミングが交互になっているので、ひと目ではその動きの全体像を把握することはできません。その後の「言葉を語るより」も同様に、しゃがむタイミングが前後で違います。

このタイミングが綺麗に揃っているので、一見複雑で不規則に見えるダンスにも何かしらの規則性があることを直感することができます。

終わりに

ボクは特にダンスに詳しいわけではありませんが、それでもSKEのダンスからは躍動感のようなものを感じざる得ません。その躍動感をもっとも感じるが、SKE48 チームS『恋を語る詩人になれなくて』なのです。

近頃最も平均的にCDが売れているジャンルがアイドルだと思います。そのため錚々たる面々が48グループに限らずアイドルに楽曲提供をしています。更にちょっと冒険的な試みをしたからと言って、曲を買わないといったことも少なく、作曲家としては少し歌が下手な女の子が数人歌うという制限だけで様々な挑戦ができるのも多くのメリットが有るのではないのでしょうか。

まぁ48グループの公演曲の中にはすごく良い曲、例えば「てもでもの涙」「逆上がり」「白いシャツ」「愛の数」「長い光」等々あるので、出来れば聞いていただけると嬉しいです。
白いシャツ
逆上がり
愛の数
長い光

2013年3月25日月曜日

羽生とジョーダン ~歴史を変えた天才の系譜~

こんにちは、こんばんは。KoR89こと、畠山薫です。
今日は「ニコ生電王戦緊急対談」で行われた、羽生善治さんとドワンゴ会長の川上量生さんの対談が非常に面白かったので、少しハブさんについて書いていきたいと思います。

羽生とジョーダン

~歴史を変えた天才の系譜~



会談の趣旨

この羽生善治さんと川上量生さんの会談は、現在行われている 人間 対 コンピューター の棋戦である電王戦を迎えるにあたって行われました。そのため人間とコンピューターの違いや、将棋とITの接点から見えてくる化学反応などが対談の中心でした。

僕の知る限りの羽生さんの対談の中でも、特に羽生さんが楽しそうに会話しているのが非常に印象的でした。彼のようなその道のプロは質問される側であることが多いと思うのですが、対談相手が彼が興味をもつ分野(コンピューター・サイエンス)の経営者である川上さんであったこともあって、彼が逆に質問することも多かったです。

頭の良い人に典型的に現れる、頭の回るスピードが口のスピードを追い越してしまって、微妙に挙動不審になる羽生さんの姿が久しぶりに長時間に渡り、しかも連続して見れたのが個人的には微笑ましかったです。羽生さんは、将棋界でも公に立つことが多いこともあって、こういう場では割りと平静を装うことが多いので、なおさら印象的でした。

人間とコンピューター

僕も僕なりの人間とコンピュータの関係性について持論を持っています。僕の領域から言えば、どれだけ経営にコンピュータを利用することができるのかということです。個人的には経営学とコンピュータは相性が良いように思います。それは組織内の多人数のシュミレーションは、人間の頭よりもコンピュータに任せてしまったほうが良いと思うからです。

経営学の一つの側面は、おそらく完成しないだろう組織のシュミレーションのアルゴリズムを作り続けることだと思うからです。

そのように出来た不完全な(いつかは完成するかもしれないけど)アルゴリズムは、まったく無価値なのかと言われると、決してそういうわけではありません。つまり不完全だと分かっていれば、そしてどのような点で不完全なのか分かっていれば、途中まではコンピュータが計算してくれるからこそ、最後の計算、つまり決断の精度を上げるために利用できると考えています。

さて、僕はコンピュータの専門家ではないので、前置きはこのへんにして、本題に入りたいと思います。

羽生善治という天才

天才とはどんな存在であるのでしょうか?

僕の中には、天才に対するはっきりとした人間像があります。それに照らし合わせると、例えばイチローは天才ではありません。僕の中では、イチローは突出した才能がある人間ですが、天才ではないのです。どうして僕はイチローを天才と呼ばないか、それについて羽生善治とマイケル・ジョーダンという二人の天才を見ていきたいと思います。

羽生さんは将棋界の歴史を変えた人物であることは、言うまでもありません。彼の偉業と言えば、Wikiから引用すると「1996年2月14日将棋界で初の7タイトル独占を達成。」や6つの永世称号、タイトル獲得数歴代単独1位などに象徴されていると思います。圧倒的な強さ、その強さだけでも彼は偉人なのです。

しかしながら、僕が彼を天才と断定するにはある決定的な理由が一つあります。
羽生とほぼ同じ年齢にトップクラスの実力者が集中しており、彼らは「羽生世代」と呼ばれる。
この事実に他なりません。羽生だけが圧倒的に強いと将棋を知らない人は思っていますが、そうではないのです。実は羽生の世代(今40歳前後)が他の世代に比べて、特に前の世代と比べて圧倒的に強いのです。

この世代が将棋の歴史を変えた世代であり、そして羽生がその震源地であったのです。

羽生のパラダイム・チェンジ

羽生が何を起こしたのかについて、極めて分かりやすく説明されています。

羽生出現前夜をおおまかにまとめると、以下のようになります。

  • 定跡というある程度整備された手順が、羽生が現れる頃には完成していた。
  • 定跡に沿うと、どちらが勝つかはほぼ決まってしまう。
このような状況になって、定跡が整う前に積極的に戦いに出るという新しい戦略を羽生は採用します。パッと見では、早い段階でコマ同士が戦い合う素人の将棋のようになってしまいますが、むしろ定跡が整っていない未開の地平だからこそ、どちらが勝つか分からない実力勝負になるのです。

そのような地平を開拓し、羽生は7冠を制覇します。

そして、そのようなパラダイム・チェンジは彼の世代以降にも大きな影響を与えます。多くの棋士が彼と同じ戦略をとるようになるのです。つまり、これまで彼だけが取っていた戦略を多くの棋士が採用するようになり、優位性が徐々に薄らいでいったのです。

それでも羽生が強いことは、今でもまったく変わりはありませんが。

マイケル・ジョーダンという天才

さて分野は変わりますが、バスケットボールの歴史を変えた人物としてマイケル・ジョーダンが挙げられます。エア・ジョーダンやバスケットボールの神様などの異名があり、そのプレーはいま見ても感動を覚えます。

そればかりではなく、野球やアメフト、アイスホッケーに比べてマイナーであったバスケットボールを一躍トップスポーツにしたばかりではなく、彼のシグネチャーモデルがナイキから発売されるなどマーケティング手法としても前例のないものでした。

彼はバスケット選手としてばかりでなく、スポーツ選手としても天才でした。

NBAの今

しかしながら、全盛期のジョーダンが今NBAに現れたとして、過去のような活躍ができるのかと言われると、残念ながら出来ないと思います。すでに彼が活躍できた時代は、過ぎ去ってしまいました。

ジョーダンの全盛時代は、スピードとテクニックの時代でした。

今は違います。今はスピードとテクニックとパワーの時代です。次期マイケル・ジョーダンと呼声高かったレブロン・ジェームズを見ると、その体つきに驚きます。2m超の巨体にしっかりと筋肉がついているのです。ウドの大木のようなヒョロッとした身体つきのプレイヤーは、今NBAにいません。

そのNBAのマッチョ化は、例えばシャキール・オニールなどの影響もあると思いますが、発端はマイケル・ジョーダンでした。

マイケル・ジョーダンは、NBAでもいち早く筋肉トレーニングを取り入れた選手でした。彼は一日ずつ左右交互に筋トレを行いました。そしてプロテインを飲み、理想の体をオフに作りこんでシーズンに臨むようになります。特にMLBに挑戦からカムバックした後の彼の肉体は、非常に理想的な肉体だと思います。

そして時が流れ、理想的に筋肉を付ける技術が向上しました。コービー・ブライアントは筋肉をつけすぎたためスピードが遅くなり、シーズンを棒に振ったこともありましたが、今ではそのような事態を避けながら理想の肉体を手に入れます。

天才とは

ここまで言うと、僕の考える天才とは何かわかって頂けると思います。パラダイムチェンジを起こすのが天才なのです。パラダイムチェンジを起こすためには、天才の後に天才の真似をする人が現れなければなりません。

天才の後ろには、道ができていないといけないのです。

そういう意味で、イチローは天才ではありません。彼は鬼才です。間違っているかもしれませんが、イチローの真似を積極的にしようとする人はいないと思います。つまり、彼のスタイルはメインストリートではありません。

羽生の基本戦略を多くの棋士が真似したように、マイケル・ジョーダンと同じようにオフに筋トレするプレイヤーが増えたように、その世界の新しい常識をつくり上げ、発展に寄与するものこそが天才なのです。

2013年3月8日金曜日

SKE48 秦佐和子の卒業に寄せて

今日はゼミの卒業旅行だったのですが、いささか思うところがあったのでみんなが寝静まった夜に書き始めました。さすがにゼミ生はビックリするかなw


SKE48 秦佐和子の卒業に寄せて


秦佐和子の卒業

3月7日のSKE48チームKⅡ公演で、秦佐和子自身の口より3月いっぱいで卒業する旨が伝えられました。

細かなことは、このへんを見ていただけると分かります。

SKE48秦佐和子 3月いっぱいで卒業を発表 - AKB48まとめんばー

SKE48秦佐和子の覚悟:SKE48まとめエンクラ

おおまかなこと言えば、本格的に声優への夢を追って声優学校に入り直すため、この3月をもってSKE48を卒業するとのことでした。

SKE48の憂鬱

近頃のSKE48は、嬉しいことと悲しいことが入り乱れています。

チョコの奴隷の総売上が60万枚を超えたこと、ガイシホールでライブが決まったことなどはファンの誰しもが喜べることです。個人的には生歌公演の開始や6期生加入も、SKEの未来を考えると非常に喜ばしいことだと思っています。

しかしながら、少し長い目でみると憂鬱なことが多いのも確かです。差し迫っている初期メンバーを含めた9人の卒業や元SKE支配人の湯浅さんの信任問題など、SKEがAKBの姉妹グループとして自由に振る舞えない姿を見ていて苦しくなります。

特に、日本でいま3番目のCD売上げを誇るグループとは思えないほど仕事量が少ないのが、様々なところに影響を及ぼしてきているように感じています。それがひとえに名古屋という土地柄の問題なのか、地理的な問題なのか。もしくは各メンバーの所属事務所が決まらずAKS所属だからなのか、それともレコード会社がエイベックスであることが問題なのか。もっと根本的にAKBの支店のようなポジションであることが問題なのか。

どれか一つには絞ることができませんし、おそらく全てが複雑に絡み合ってあまり自由度が高くないグループとして見えてしまいます。

そんな苦しいSKEの姿を、今回の秦佐和子の卒業でまず思い出してしまいました。

前向きな卒業

そんなSKEの姿と彼女の卒業をダブらせていましたが、彼女のブログを読むともう少し前向きなように思います。

色々な声のお仕事を頂いて、その上で 
自分の力不足、今のままでは声優になんて 
とてもなれないと言う現実をつよく感じていました。 
漠然とこのままだと、数年後には皆さんと 
一生さよならするときが来てしまうなと。
秦*卒業報告|SKE48オフィシャルブログ Powered by Ameba 
仕事が来る来ない云々ではなく、自身の力不足を嘆いている彼女の姿を垣間見ることが出来ます。そして同時に、彼女の声優への一途な思いを強く感じることが出来ました。

正直言うと、僕は声優にこだわらず女優やタレントといった道も彼女にはあるのではないかと思っています。タガの外れた表情や演技、バラエティでの振りへの対応で、彼女は他の人が真似できない非凡な才能を見せてくれます。むしろそのような領域こそ、彼女の持ち味が十二分に発揮できる領域なのではないかと思うのです。

しかしながら、彼女は声優に24歳になって再度挑戦する道を選びました。24歳から声優に再挑戦するということは、一般的に言って遅い挑戦であると思います。と同時に、最後のチャンスなのかもしれません。

架け橋としてのSKE48

私にとってSKEは夢へと歩き続けさせてくれた橋のような存在でした。
秦*卒業報告|SKE48オフィシャルブログ Powered by Ameba 
彼女は、彼女にとってのSKE48を「橋」と表現しています。

夢を追い続けるか諦めるか、その決断を保留にしながらも、0048などで声の仕事を実際に行えるようになって、夢が具体的に視界に入ったのではないのでしょうか。そういう意味で、仕事へとつないでくれた橋だったと思います。

しかしながら、もう少し拡大解釈したいなと個人的には思っています。

青春の橋

ちょっと汗臭いですが、誰しもが何かに夢中になったり、夢を語るような年代があったと思います。しかしながらそのような情熱は、自身の才能のなさや現実の厳しさなどを年をとるにつれ痛感し、徐々に沈静化してしまいます。

それは実力云々の問題ではなく、むしろ精神的な問題です。夢を追う気力そのものがなくなってしまうのです。

個人的には、夢への圧倒的な情熱こそが青春にとって必要なものだと思っています。そのような情熱は、一度失うと取り戻すことは困難です。だからこそ、そのような希少な情熱が輝く青春を、アイドルは売っているのだと思います。その一度失うと取り戻せないパワーを、僕は彼女たちからどうしても感じるのです。

声優を一度諦めかけていたという秦も、過去に青春を終えようとしていたのではないのでしょうか。むしろ、より現実的な方向(大学)に進みつつあったのだと思います。

しかしながら、声優へのくすぶる何かが、アイドルというまた違ったジャンルに挑戦することで蘇った。そこにはファンとの関係や自分の資質などを再確認があったのは言うまでもないですし、もっと大きな何かがあったのかもしれません。

秦の青春を再度蘇らせた、SKE48は青春の橋だったのです。
そういうSKE48や48グループの姿は魅力的ですし、意味のあるものだと思います。


今、僕は秦から強い青春の何かを感じます。
そんな彼女を、僕は応援せざる得ません。