2013年3月25日月曜日

羽生とジョーダン ~歴史を変えた天才の系譜~

こんにちは、こんばんは。KoR89こと、畠山薫です。
今日は「ニコ生電王戦緊急対談」で行われた、羽生善治さんとドワンゴ会長の川上量生さんの対談が非常に面白かったので、少しハブさんについて書いていきたいと思います。

羽生とジョーダン

~歴史を変えた天才の系譜~



会談の趣旨

この羽生善治さんと川上量生さんの会談は、現在行われている 人間 対 コンピューター の棋戦である電王戦を迎えるにあたって行われました。そのため人間とコンピューターの違いや、将棋とITの接点から見えてくる化学反応などが対談の中心でした。

僕の知る限りの羽生さんの対談の中でも、特に羽生さんが楽しそうに会話しているのが非常に印象的でした。彼のようなその道のプロは質問される側であることが多いと思うのですが、対談相手が彼が興味をもつ分野(コンピューター・サイエンス)の経営者である川上さんであったこともあって、彼が逆に質問することも多かったです。

頭の良い人に典型的に現れる、頭の回るスピードが口のスピードを追い越してしまって、微妙に挙動不審になる羽生さんの姿が久しぶりに長時間に渡り、しかも連続して見れたのが個人的には微笑ましかったです。羽生さんは、将棋界でも公に立つことが多いこともあって、こういう場では割りと平静を装うことが多いので、なおさら印象的でした。

人間とコンピューター

僕も僕なりの人間とコンピュータの関係性について持論を持っています。僕の領域から言えば、どれだけ経営にコンピュータを利用することができるのかということです。個人的には経営学とコンピュータは相性が良いように思います。それは組織内の多人数のシュミレーションは、人間の頭よりもコンピュータに任せてしまったほうが良いと思うからです。

経営学の一つの側面は、おそらく完成しないだろう組織のシュミレーションのアルゴリズムを作り続けることだと思うからです。

そのように出来た不完全な(いつかは完成するかもしれないけど)アルゴリズムは、まったく無価値なのかと言われると、決してそういうわけではありません。つまり不完全だと分かっていれば、そしてどのような点で不完全なのか分かっていれば、途中まではコンピュータが計算してくれるからこそ、最後の計算、つまり決断の精度を上げるために利用できると考えています。

さて、僕はコンピュータの専門家ではないので、前置きはこのへんにして、本題に入りたいと思います。

羽生善治という天才

天才とはどんな存在であるのでしょうか?

僕の中には、天才に対するはっきりとした人間像があります。それに照らし合わせると、例えばイチローは天才ではありません。僕の中では、イチローは突出した才能がある人間ですが、天才ではないのです。どうして僕はイチローを天才と呼ばないか、それについて羽生善治とマイケル・ジョーダンという二人の天才を見ていきたいと思います。

羽生さんは将棋界の歴史を変えた人物であることは、言うまでもありません。彼の偉業と言えば、Wikiから引用すると「1996年2月14日将棋界で初の7タイトル独占を達成。」や6つの永世称号、タイトル獲得数歴代単独1位などに象徴されていると思います。圧倒的な強さ、その強さだけでも彼は偉人なのです。

しかしながら、僕が彼を天才と断定するにはある決定的な理由が一つあります。
羽生とほぼ同じ年齢にトップクラスの実力者が集中しており、彼らは「羽生世代」と呼ばれる。
この事実に他なりません。羽生だけが圧倒的に強いと将棋を知らない人は思っていますが、そうではないのです。実は羽生の世代(今40歳前後)が他の世代に比べて、特に前の世代と比べて圧倒的に強いのです。

この世代が将棋の歴史を変えた世代であり、そして羽生がその震源地であったのです。

羽生のパラダイム・チェンジ

羽生が何を起こしたのかについて、極めて分かりやすく説明されています。

羽生出現前夜をおおまかにまとめると、以下のようになります。

  • 定跡というある程度整備された手順が、羽生が現れる頃には完成していた。
  • 定跡に沿うと、どちらが勝つかはほぼ決まってしまう。
このような状況になって、定跡が整う前に積極的に戦いに出るという新しい戦略を羽生は採用します。パッと見では、早い段階でコマ同士が戦い合う素人の将棋のようになってしまいますが、むしろ定跡が整っていない未開の地平だからこそ、どちらが勝つか分からない実力勝負になるのです。

そのような地平を開拓し、羽生は7冠を制覇します。

そして、そのようなパラダイム・チェンジは彼の世代以降にも大きな影響を与えます。多くの棋士が彼と同じ戦略をとるようになるのです。つまり、これまで彼だけが取っていた戦略を多くの棋士が採用するようになり、優位性が徐々に薄らいでいったのです。

それでも羽生が強いことは、今でもまったく変わりはありませんが。

マイケル・ジョーダンという天才

さて分野は変わりますが、バスケットボールの歴史を変えた人物としてマイケル・ジョーダンが挙げられます。エア・ジョーダンやバスケットボールの神様などの異名があり、そのプレーはいま見ても感動を覚えます。

そればかりではなく、野球やアメフト、アイスホッケーに比べてマイナーであったバスケットボールを一躍トップスポーツにしたばかりではなく、彼のシグネチャーモデルがナイキから発売されるなどマーケティング手法としても前例のないものでした。

彼はバスケット選手としてばかりでなく、スポーツ選手としても天才でした。

NBAの今

しかしながら、全盛期のジョーダンが今NBAに現れたとして、過去のような活躍ができるのかと言われると、残念ながら出来ないと思います。すでに彼が活躍できた時代は、過ぎ去ってしまいました。

ジョーダンの全盛時代は、スピードとテクニックの時代でした。

今は違います。今はスピードとテクニックとパワーの時代です。次期マイケル・ジョーダンと呼声高かったレブロン・ジェームズを見ると、その体つきに驚きます。2m超の巨体にしっかりと筋肉がついているのです。ウドの大木のようなヒョロッとした身体つきのプレイヤーは、今NBAにいません。

そのNBAのマッチョ化は、例えばシャキール・オニールなどの影響もあると思いますが、発端はマイケル・ジョーダンでした。

マイケル・ジョーダンは、NBAでもいち早く筋肉トレーニングを取り入れた選手でした。彼は一日ずつ左右交互に筋トレを行いました。そしてプロテインを飲み、理想の体をオフに作りこんでシーズンに臨むようになります。特にMLBに挑戦からカムバックした後の彼の肉体は、非常に理想的な肉体だと思います。

そして時が流れ、理想的に筋肉を付ける技術が向上しました。コービー・ブライアントは筋肉をつけすぎたためスピードが遅くなり、シーズンを棒に振ったこともありましたが、今ではそのような事態を避けながら理想の肉体を手に入れます。

天才とは

ここまで言うと、僕の考える天才とは何かわかって頂けると思います。パラダイムチェンジを起こすのが天才なのです。パラダイムチェンジを起こすためには、天才の後に天才の真似をする人が現れなければなりません。

天才の後ろには、道ができていないといけないのです。

そういう意味で、イチローは天才ではありません。彼は鬼才です。間違っているかもしれませんが、イチローの真似を積極的にしようとする人はいないと思います。つまり、彼のスタイルはメインストリートではありません。

羽生の基本戦略を多くの棋士が真似したように、マイケル・ジョーダンと同じようにオフに筋トレするプレイヤーが増えたように、その世界の新しい常識をつくり上げ、発展に寄与するものこそが天才なのです。

2013年3月8日金曜日

SKE48 秦佐和子の卒業に寄せて

今日はゼミの卒業旅行だったのですが、いささか思うところがあったのでみんなが寝静まった夜に書き始めました。さすがにゼミ生はビックリするかなw


SKE48 秦佐和子の卒業に寄せて


秦佐和子の卒業

3月7日のSKE48チームKⅡ公演で、秦佐和子自身の口より3月いっぱいで卒業する旨が伝えられました。

細かなことは、このへんを見ていただけると分かります。

SKE48秦佐和子 3月いっぱいで卒業を発表 - AKB48まとめんばー

SKE48秦佐和子の覚悟:SKE48まとめエンクラ

おおまかなこと言えば、本格的に声優への夢を追って声優学校に入り直すため、この3月をもってSKE48を卒業するとのことでした。

SKE48の憂鬱

近頃のSKE48は、嬉しいことと悲しいことが入り乱れています。

チョコの奴隷の総売上が60万枚を超えたこと、ガイシホールでライブが決まったことなどはファンの誰しもが喜べることです。個人的には生歌公演の開始や6期生加入も、SKEの未来を考えると非常に喜ばしいことだと思っています。

しかしながら、少し長い目でみると憂鬱なことが多いのも確かです。差し迫っている初期メンバーを含めた9人の卒業や元SKE支配人の湯浅さんの信任問題など、SKEがAKBの姉妹グループとして自由に振る舞えない姿を見ていて苦しくなります。

特に、日本でいま3番目のCD売上げを誇るグループとは思えないほど仕事量が少ないのが、様々なところに影響を及ぼしてきているように感じています。それがひとえに名古屋という土地柄の問題なのか、地理的な問題なのか。もしくは各メンバーの所属事務所が決まらずAKS所属だからなのか、それともレコード会社がエイベックスであることが問題なのか。もっと根本的にAKBの支店のようなポジションであることが問題なのか。

どれか一つには絞ることができませんし、おそらく全てが複雑に絡み合ってあまり自由度が高くないグループとして見えてしまいます。

そんな苦しいSKEの姿を、今回の秦佐和子の卒業でまず思い出してしまいました。

前向きな卒業

そんなSKEの姿と彼女の卒業をダブらせていましたが、彼女のブログを読むともう少し前向きなように思います。

色々な声のお仕事を頂いて、その上で 
自分の力不足、今のままでは声優になんて 
とてもなれないと言う現実をつよく感じていました。 
漠然とこのままだと、数年後には皆さんと 
一生さよならするときが来てしまうなと。
秦*卒業報告|SKE48オフィシャルブログ Powered by Ameba 
仕事が来る来ない云々ではなく、自身の力不足を嘆いている彼女の姿を垣間見ることが出来ます。そして同時に、彼女の声優への一途な思いを強く感じることが出来ました。

正直言うと、僕は声優にこだわらず女優やタレントといった道も彼女にはあるのではないかと思っています。タガの外れた表情や演技、バラエティでの振りへの対応で、彼女は他の人が真似できない非凡な才能を見せてくれます。むしろそのような領域こそ、彼女の持ち味が十二分に発揮できる領域なのではないかと思うのです。

しかしながら、彼女は声優に24歳になって再度挑戦する道を選びました。24歳から声優に再挑戦するということは、一般的に言って遅い挑戦であると思います。と同時に、最後のチャンスなのかもしれません。

架け橋としてのSKE48

私にとってSKEは夢へと歩き続けさせてくれた橋のような存在でした。
秦*卒業報告|SKE48オフィシャルブログ Powered by Ameba 
彼女は、彼女にとってのSKE48を「橋」と表現しています。

夢を追い続けるか諦めるか、その決断を保留にしながらも、0048などで声の仕事を実際に行えるようになって、夢が具体的に視界に入ったのではないのでしょうか。そういう意味で、仕事へとつないでくれた橋だったと思います。

しかしながら、もう少し拡大解釈したいなと個人的には思っています。

青春の橋

ちょっと汗臭いですが、誰しもが何かに夢中になったり、夢を語るような年代があったと思います。しかしながらそのような情熱は、自身の才能のなさや現実の厳しさなどを年をとるにつれ痛感し、徐々に沈静化してしまいます。

それは実力云々の問題ではなく、むしろ精神的な問題です。夢を追う気力そのものがなくなってしまうのです。

個人的には、夢への圧倒的な情熱こそが青春にとって必要なものだと思っています。そのような情熱は、一度失うと取り戻すことは困難です。だからこそ、そのような希少な情熱が輝く青春を、アイドルは売っているのだと思います。その一度失うと取り戻せないパワーを、僕は彼女たちからどうしても感じるのです。

声優を一度諦めかけていたという秦も、過去に青春を終えようとしていたのではないのでしょうか。むしろ、より現実的な方向(大学)に進みつつあったのだと思います。

しかしながら、声優へのくすぶる何かが、アイドルというまた違ったジャンルに挑戦することで蘇った。そこにはファンとの関係や自分の資質などを再確認があったのは言うまでもないですし、もっと大きな何かがあったのかもしれません。

秦の青春を再度蘇らせた、SKE48は青春の橋だったのです。
そういうSKE48や48グループの姿は魅力的ですし、意味のあるものだと思います。


今、僕は秦から強い青春の何かを感じます。
そんな彼女を、僕は応援せざる得ません。

2013年2月21日木曜日

進捗管理でアメとムチ

ちょっとバイト先についてまとまったものを書こうと思います。まぁ、バイト先の名前はどこにも書いていないので、おそらく大丈夫だと思います。

仕事の概要

今のバイトには、最初テレアポ(電話営業)の仕事で入社しましたが、面接の際から企業を大きくする時に生ずるオペレーションの組織化の一部を任せて頂けるというお話でした。

約一ヶ月のテレアポ期間を経て、まずアルバイトのテレアポの改善、架電数の報告システムの構築、マニュアルの作成、評価システムの作成等々というお仕事を任せて頂きました。それらについて概ね満足いただけているようで、最近では主に新卒者の進捗管理を効率化する方法について考えています。

社長の経営感覚

アルバイトのボクから言うのものなんですが、弊社代表の経営感覚は非常に優れたものがあると思います。中小企業を少し舐めていましたが、社長をする人たちには何かしらの卓越した感覚があると思います。例えば、営業がすごい社長、仕事の早い社長、開発力のすごい社長などそれぞれ特徴があると思いますが、弊社代表のそれはまさしく経営感覚に近いと思います。

ボクの言う経営感覚とは、簡単に言うと人を動かす力のことです。彼によって発生する組織力のことであるとも言えるでしょう。その力はマーケティング力とか、営業力という数字には現れない力であり、けっして単体では利益を生むものではありませんが、それらを司る力として非常に重要なものだと思います。

例えば、ボクが卒論で扱おうと思った人事考課における数字の教育化効果という概念(ボクの作った概念ですがw)が明らかに体に染み付いている点です。簡単に言うと、互いに親和性の低い仕事A、仕事Bがあり、Aを行った方が評価が高いとすると必然的にAを行う機会が多くなり、Aに関するノウハウが増えるというものです。

このように何を評価するかによって、評価者は被評価者の成長さえもコントロールしています。自由な成長は必ずしも組織の利益や成長には直結しないからです。

褒めると叱る

そのような人の成長をコントロールする際に、どのように叱るのか、何を叱るのかが非常に重要になると思います。

おそらく叱ることについては絶対的に悪いことと、相対的に悪いことの2つに分けることができると思います。前者は怠惰、確認ミスのような緊張感の緩み等によって発生してしまうことや、失礼な態度や明らかな知識不足などです。後者は、営業職が開発のスキルを身につけることや、人の仕事をやってしまうといった組織の合理性を明らかに損なうような場合です。

前者は置いといて、後者をどのように設定するかがひとつの成長のコントロールにおいて重要な点だと思います。

そして、叱ることの反対に褒めることも成長のコントロールにとって重要です。犬の調教は私から見れば、概ね褒めることによって促されるものが多いと思います。「お手」が出来たらエサをあげるのは、広義の褒めることです。

日本人はプロフェッショナル意識が高いのか分かりませんが、基本的に「褒める」ことをしません。個人的には「褒める」ことによって何をすればいいのか分かるようになり、成長のコントロールが容易になると思うのですが、そういう意識はあまりないのでしょうか。

進捗管理のバランス

現在ボクの作っている進捗管理のシートは、褒めるシートと叱るシートというのを明確に分けています。こう言うと大げさですが、時間軸に沿って簡単な工夫をしているだけです。

週に一度の営業報告用のシートでは、未達成の進捗が明らかになるようにしてある一方で、一ヶ月・一年単位のシートでは達成した進捗が強調されるようにしました。つまり、前者が叱るシートで、後者が褒めるシートです。

少し過去を振り返り、これからのことを考えるときには褒めるシートでムチを打ちつつ、一ヶ月・一年という長いスパンを振り返るときには目標を達成した喜びによるアメの効果があるのではないかと考えた、私なりの工夫でした。

アメの教育化効果は頻繁に繰り返すと急速に失われる一方で、効果の限界はムチよりもアメの方が高いのではないかという予想を立てました。そのため週に一回、合計で月に四回ムチを入れられ、月に一回アメをあげるのが適切なバランスだと考えています。

これを代表に報告したところ無言の了承を頂いたようで、試用は私ではありませんが経営感覚の素晴らしい代表に期待しています。

2013年2月20日水曜日

ボクのオヤジ化

ボクも23歳になって、正直言えば体力の衰えを感じ始める時期ですが、それ以外になぜかある体力だけがめっきり強くなるという逆説が常にあると思います。そんな話です。

ボクは日本酒好き

皆さん色々と個人的に好きなお酒があると思います。女性だと、ビールが苦手な人や焼酎・日本酒が苦手な人が多いように思われます。苦いお酒が苦手なのでしょうか。その半面、大体一緒にお酒を飲んで先に酔いつぶれてしまうのは男性というのがいささか恥ずかしいものです。

ボクが一番好きなお酒は日本酒です。辛口よりも、甘口(旨口?)のお酒で純米酒が好きです。なぜ日本酒が好きかというと、悪い酔いしないことが大きいです。ワインやウィスキーなどの洋酒はすごく悪酔いしてしまいます。成人式で友人の女性に抱きついた時は、ずっとウィスキーを飲んでいました。

悪酔いにもつながりますが、次に二日酔いしないことが大きいです。これは本当に人それぞれのようですが、ボクは日本酒なら一升ぐらい飲まないと二日酔いになりません。なので日本酒だと、お酒を飲んだ後も勉強できたりと、お酒の気持ちよさと勉強するという実務を同時に達成することが出来る魔法の飲み物です。

最後に『もやしもん』の影響がすごく大きかったです。『もやしもん』は、細菌が目に見える主人公が農業大学でお酒づくりをするお話ですが、彼らが作るお酒が日本酒です。正直言えば、ボクのお酒の知識はすべて『もやしもん』です。もしくは『ソムリエ』です。例えば、日本酒の果実のような香りとか精米度合いなどの知識です。高校に『もやしもん』が置いてあって、ボクのお酒に対する憧れは募るばかりでした。

『もやしもん』は、テンポの良い部分と永遠とお酒の説明をする部分があるのでちょっと辛抱が必要ですが、面白いのでオススメです。

味の面だと、正直ボクは大抵のお酒が好きです。でも、何時間もお酒を飲むには味以外の部分が重要なので、飲み続けられるのは本当に日本酒だけです。

お酒の変遷

ボクがお酒との出会いは、まずJINROでした。JINROでお茶を割ったりしたところから始めた私は、最初からJINROとお茶と一対一で割っていたので、お酒の出会いはアルコール度12.5%でした。その後大学生になって家で飲むようになると、ウィスキーをロックで飲むようになりました。ウィスキーだと簡単に酔えるので、若い時はただ酔えるだけで満足でしたね。

その後、ボクはTEAM NACSの安田顕さんに憧れてむぎ焼酎をソーダ割りで飲むようになりました。この時代が1年ほど続いて、その後日本酒に行き着きました。途中、カルピスサワーや巨峰サワーなどにうつつを抜かすこともなく、なんともオヤジくさいお酒の変遷を辿って行きました。

最近のオヤジ化

そんなボクの最近のオヤジ化は、ついにお酒を毎日飲むようになったことです。

お酒を飲むのは好きですが、毎日飲むお酒を飲む大人にビックリしていました。休肝日ってなんだ。オヤジ化すると感覚がなくなるのかと馬鹿にしていましたが、どうやらボクもその道を歩もうとしているようです。

日本酒を毎日飲むのが日課になりつつあります。

2013年1月18日金曜日

エヴァンゲリオンQ ~気持ち悪さと救い~


卒論でなんとなく時期を逃してしまいましたが、僕がエヴァンゲリオンQを見て何を感じたかについて、簡単にですが書きたいと思います。


劇場版エヴァンゲリオンQ

~気持ち悪さと救い~


基本的な感想

僕の基本的な感想は、前半というか終わりの直前まではずっと気持ち悪いと思い、そしてなぜか最後に救われてしまったわけです。

ヒントは、羽海野さんのQに対する感想に隠されていると思います。


つまり「ずっと一緒に」や「気づいたらこんな遠くまで来てしまった」といった感想が、私が最後に救われた理由でした。

「気持ち悪い」

僕がかなり終盤まで感じていたのは、「気持ち悪い」(アスカ的に言っている体でw)といった感想でした。その気持ち悪さを、端的に表すと、

同性のオナニーを何時間も見ている感覚

です。

つまり、庵野秀明監督のオナニーを、映画館で300人くらいの観客と一緒にずっと見ているような感覚でした。同性のオナニーを見ることさえ気持ち悪いのに、それを300人のファンがこぞって見に行っている感じが、更に気持ち悪さを助長させて行きました。

庵野さんの内的葛藤の中でも、作品に対する葛藤や「僕ってなんてダメな人間なんだろう」、「弱い僕に頼らないといけない世間が悪い」といった、本来人に見せるべきではない恥ずかしい感情を、作品の大半において碇シンジの内的葛藤を描くことによって投影している感覚を受けざる得ませんでした。

カヲルくんというファン

僕は薫(カオル)ですが、最初にカヲルくんが出てきたことが嬉しかったのを覚えていますw

カヲルくんは、常にシンジを肯定し続けます。「そのままでいいんだよ」「君らしく」といった言葉で、彼の目的にシンジを巻き込んでいくわけです。

実際には、シンジはカヲルくんに肯定されることによって、救われます。シンジはカヲルくんがいなければ、ただの本当のダメ人間になってしまい、何もしないことになってしまうのです(行動の良し悪しは別として)。

その悩みさえも肯定するカヲルくんの姿を見ていると、なんとなくそれがファンであるのではないか錯覚します。つまり、碇シンジ=庵野秀明、カヲル=ファンといった構図です。庵野さんを肯定し続けるファンがあそこには投影されている気がしてならないのです。

実際、カヲルくんは人間ではなく、使徒です。つまり、本質的には敵だったハズです。TVシリーズでは、最後はシンジによって殺されてしまいました。しかしながら、Qではむしろシンジをかばって死んで行きました。

つまり、TVシリーズではプレッシャーを与えるだけの敵であったハズのファンが、長い葛藤を経験している彼を肯定し続けることによって、ついには本質的には敵でありながら味方であるかのように庵野さんの中で感じるようになったのではないのでしょうか。

そして、そのように庵野さんを甘やかしてた姿をなんとなく見せられているようで、二重の気持ち悪さがありました。

エヴァとファンの人生

エヴァンゲリオンは未完の作品です(意見の別れるところだと思いますが)。未完でなければ、劇場版など作らないと思うからです。エヴァンゲリオンは未完でありながら、ファンに影響を与え、アニメ史に三千と輝く名作として歴史に名を残すことになりました。

そういった作品であるエヴァンゲリオンには、おそらく30代ぐらいのコアなファンがいます。エヴァンゲリオンによって人生が狂ってしまった人たちです。

未完のようなモヤモヤした感覚を、エヴァンゲリオンの本当の完結をもって昇華するのを彼らは待っています。しかもそれを10年単位で待っているのです。そのような感覚が、羽海野さんの「気づいたらこんな遠くまできてしまった」といった感想につながるのだと思っています。

Qという作品の役割


新劇場版の序と破は、けっして完全に新しいストーリーではありませんでした。前作を焼き直しして、昇華させたような作品です。それは庵野さんがあそこまでは納得がいっていたからです。Qから、本格的にストーリーが展開されていくのです。

Qという作品は、まさにファンとエヴァと庵野さんの10年が表現されているように思います。なぜQが14年後からスタートしたのか、1998年の『Air/まごころを、君に』から2012年がちょうど14年たったからです。

そうしないとすでにお互いに納得出来ない大きな隔たり、つまり成長や変化を我々は体験してしまっているからです。つまり、我々(ファンと庵野さん)さんには、この10年を振り返る必要があったのです。

そうしないと本当の完結に説得力がもたせられないのです。

僕が救われた理由


そのように振り返りを経て、新しく出来あがる作品はどのような作品であるべきでしょうか。僕たちはまた庵野さんのオナニーを見なければならないのでしょうか?

やはりそれは違うのだと思います。僕たちは決してエヴァを通して庵野さんの人生を見ているのではありません。僕たちはシンジや綾波レイやアスカの物語を見ているのです。庵野さんに感情移入しているのではなく、彼らに感情移入しているのです。

シンジがカヲルくんとずっといたというのは、ファンとエヴァがずっと一緒に煮え切らない感情のまま一緒に居続けたことの比喩なのです。心地よいものであっても、それがどうやっても完結しないのは当たり前です。

カヲルくんが死んで、シンジがレイと一緒にアスカやミサトさんのもとに戻ろうと荒野を歩いていたのは、まさにそのような膠着状態から一歩進みエヴァの完結に向けて進んでいることの象徴です。(僕が思うに「人類補完計画」は『エヴァンゲリオン』という大作への比喩です。)

一度は分裂した彼らが、最後一緒になって歩いていく姿に希望を感じ、僕は最後救われました。

おわりに

途中までの『気持ち悪さ』を超えて、救われた僕の感想は『次もまた見に行こう』でした。正直、30代の人達に比べると僕はそこまで影響を受けたわけではありませんが、それでも普通のアニメよりも感情移入しています。

僕もまた完結を望んでいる一人です。

最後に、僕は葛城さんが好きなのですが、小学生の時にそういう友だちがいなかったのは悲しかったでした。また、なぜか名前が似てるだけで、カヲルくんと比べられてイケメンじゃないと言われるのも悲しかったでしたw